*  自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 )  *   < kujila-books ホームへ帰る >

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第 2 章  *  久治良家の遺産相続戦争。

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< 我が祖父、久治良( 土田 )伊義の 罪 >



祖父の生き方には、曽祖父 伊三次郎の影、
色濃く射しておる。
無意識の内に子供を争(あらそ)わせる DNA 、
まぎれ無く、曽祖父からの遺伝ではある。

段の下方において、大阪の次郎叔父を書く。
次郎叔父の自慢。敗戦後の満鉄。帰国する朝鮮人数百名。
列車事故にて死なせた事だ。
自慢して良い内容かどうか? 考えてみたい。



*     *     *






< 祖父伊義は、小松市役所の職員だった。 >


最近の公務員の給与。 民間を抜いておるが、当時の役人、薄給( はく
きゅう )だった。 だけど公務員。 昔も今も、

生涯の支給額では、同時代の民間を、断トツに抜いておる。 支給は、給与だけ
ではない。 医療、住宅、その他が有る。

公務員が生涯給を言う時。 そこを故意に除外して言う。 さればこそ、不況時
に会うたび、公務員の有り難さ。 しみじみと身に染みる。

景気の悪い時代、若い人、役人に成りたがる筈だ。



ところで今の人、薄給の語を知らない。 このワープロでも、はく きゅう、が
出て来ない。 はく きゅう。 って一体、何あに? の時代だ。

薄給とは中身が少ないので、給与袋が薄いことだ  ハハハッ


昔は世の中、みんな貧乏だった。 誰もが貧乏だと、貧乏が苦にならない。
我が祖父伊義( いよし )。  子沢山。 男子、五名。 女子、一名だった。


合わせて六名の子供。 これに執事( しつじ )が居たんだぜ。 羊じゃない。
執事だぜ。 市役所の安月給でだ。  そんな真似、当時でも不可能だった。

つじつま、どこで合わせたか? 小松駅前の土地。 久治良家の土地。 細切れ
( こまぎれ )にして売却。 帳尻を合わせた。



 *       *       *



ワシは祖父から、直( じか )に聞いた。 こんな土地。 残して置いても
子供が得するだけだ。 どんどん売ってしまえ ・・・ と。

売ってしまえ。 全部、売ってしまえ。 残して置いて、誰の得になる?
聞いてたワシ。 子供心に、何にと無く 悲しかった。



このセリフ。 曽祖父の影、そのものだと思わぬか? ところで曾祖母は、どう
してたんだろう? 彼女の話題、聞いた事がない。

曾祖母。 どこに居て? 何をしてたのか? 生きてたのか? 死んでたのか?
それすら聞かぬ。

祖父の伊義。 親の想い出を語らない。 聞いても顔を顰( しか )めただけ。
ワシの家系は、 確かに問題家系だ。



 *       *       *



父の 伊一。 三十六歳まで、給料を、そっくり、そのまま、親に渡してた。
いや、盗られてた。 と言う方が、正しいかも。

小使いも呉れない。 小銭さえ呉れなかった。


父が、堪り兼ね、せめて小使いくらい、呉れよと言うと。 祖父。 こう言うて
父を、たしなめた。

わしは、もう直ぐ死ぬ。 わしが死ねば、この家の全財産。 長男のお前一人の
ものじゃないかッ



何んで、それまで待てんのだ? 情けない。 本当に情けない・・・
これは前段にも書いた。



 *       *       *



ところが次男以下には、別の事を言うておる。 お前達が、わしに良く すれば、
相続は長男でなく ても良いのだ ・・・

誰に相続させるか、それは、お前達、次第だ ・・・ と。
こんな事言う親。 諸君らは、どう思う?



 *       *       *



加えてワシの父も、生き方が下手だった。 毎日の食事。 祖父と同じ食卓に、
父の席がある。 おかずが次男以下より、一品多い。



次男以下は、下座で食べた。 父にすれば、給料を全部、出している。 弟の
おかず代も、一部は、自分が出している。

おかずが一品、多いく らい。 当たり前じゃないか? の気分。 だけど弟達。
そうは、考えなかった。



兄貴だけ、好いもの喰いやがって と、憎( にく )しみさえ抱いた。
ワシは複数の叔父から、それを言われた。

それをまた祖父は、陰( かげ )で煽( あお )るのだ。 馬鹿な一家と、言え
ないか?  諸君らは祖父の、この行為を、正しいと思うか?



 *       *       *



ワシは、長男伊一の息子である。 この憎しみを叔父達から面と向かい、何度も
何度も言われた。 面と向かってだぜ。

ある時は次郎叔父だった。 久治良鉄工の事務室である。 この次郎叔父。
口の悪さで有名な男。 遠慮も会釈( えしゃく )も有ればこそ、だった。



ワシの面前で、く そみそに、父を扱( こ )き下ろした。 ワシは言うた。
叔父さん。 あんたが今、面と向かって悪口した人。 ひょっとして、

ワシの親父( おやじ )と違うか? 息子の目前で父の悪口だ。 親の敵
( かたき )じゃないか?



ワシが今、叔父さんをこの場で片輪( かたわ )にしても、叔父さんは、文句、
言えない形だぜ ・・・  と。



次郎叔父。 あっ気に取られた顔で、しばしワシを見ていたが、我に帰ると、
言った。

そうかも知れんな。 すまんすまん。 堪弁してくれ。 言うて一礼すると、
そそく さ帰って行った。



この次郎叔父、大阪に住んでいた。 よって我ら、彼を大阪の叔父と呼んだ。
戦後、満州から帰ると、大阪で饅頭屋を開店。 大成功を収(おさ)めた。

巨富の人と成った。



 *       *       *



< 次郎叔父の自慢は、戦後の満鉄の列車で、帰国する朝鮮人数百名を、
   事故死させた事。>



果たして自慢に値する事か、どうか? ワシは疑問視だが、本人は、自慢して
止まぬから、ここはやっぱ、自慢と書く 以外ない。


ではあるが、こんな大罪を犯した者が、よく まあ、ワシの父の悪口。
言えたものだと、感心は、する。

如何に戦後の混乱期とは言え。 常識では許されぬ行為である。 なのに、何の
罰も受けていない。 ここが、人間世界の矛盾である。



注意して欲しいのは、この時、次郎叔父。 金日成軍と旧ソ連軍の管理下で
あった事だ。 日本政府には、いささかの責任も無い。

完全に、個人的な責任である。 軽はずみと言うか、お調子者の所業ではある。
現代に、こんな事をすれば、只では済まぬだろう。 だが、何も無く 済んでいる。




< 大資産家で逝った次郎叔父は、強運の人か? >


次郎叔父。 若く して( 旧 )満州に渡り、満鉄の機関手となった。 花の満鉄。
平原を驀進( ばく しん )した弾丸列車の運転手を勤めた。

ここまでは、よろしい。 問題は、日本の敗戦後だ。



運転技能で大陸に留置。 引き続き機関車の運転を、させられた。 その中で
の任務。

旧満州地区に居た朝鮮人。 列車で北朝鮮に輸送を命じられた。 大きな荷物
を持った朝鮮人達。 何千何万となく、列車に乗り込んで来た。



如何に長大な連結でも、そんなに沢山。 一度に乗れるかい。 客室は超々満員。
乗れなかった朝鮮人。

荷物を持ち、屋根に登った。 列車の屋根。 荷物と人で、一杯である。
それを見た、次郎叔父。 こう叫んだそうな。 ( 本人の弁 )



馬鹿野郎ッ 途中に、トンネルが在るんだぞッ
どんな神経してんだッ  屋根に登った者、

みんな降りろッ



 *       *       *



運転手の声で降りるような客。 居ますかいな。 バラライカ( 自動小銃 )の
ソ連兵が叫んだ。 出発しろッ  列車を出せッ

叔父が抗議すると、銃口を向けたそうな。 命令に、反抗する気か?



おらあ、知らねえからな



汽笛一声。 叔父は列車を始動させた。 煙を吐いて一路、北朝鮮へ、北朝鮮へと
超々満員の列車は、驀進( ばく しん )した。 何時間、走ったことか?

問題のトンネルが、見えて来た。 次郎 叔父。 長い長い汽笛を鳴らしたそうで
ある。



屋根には荷物を持った乗客が、何百名と鈴なりだ。 叔父は減速もせず、列車を
トンネルへ突入させた。 その時、どんな光景が現出したか?

諸君ら、想像せよ


トンネルを抜けて列車は走り、走り抜いて、目的地駅に着いた。 叔父は機関車を
降り、運転手の休憩所へ行き、お茶を飲んでたそうである。


正面の引き戸が、バシと開いた。 全身をワナワナと震わせ、真っ青な顔した
金日成軍の若い将校が、立っていた ・・・ そうである。

朝鮮語で何か叫ぶと、腰の拳銃を抜いて、次郎叔父目掛けて、バンと一発
引き金を引いた。



 *       *       *



叔父は、椅子から転げ落ち、尻餅をついた。 だけど、命中しなかった。
なぜ命中しなかったのか? こんな至近距離で。

横に座ってたソ連軍将校が拳銃の腕を、跳ね上げたからだった。 将校は
静かに言った。


こんな奴を殺すの、訳( わけ )はない。 しかし今、こいつを殺したら、誰が
機関車を運転する?

今しばらく 生かしておけ。 用が済めば殺せ。 かく して、次郎叔父は、
助かった。



次郎叔父。 それからも機関車を運転し、殺されもせず、日本へ帰れた。

ところで次郎叔父の連れ合い。 小松駅前に今も続く、旅館の娘である。 つまり
同じ町内の娘だったのである。

叔父との間に、女の子が二人生まれた。 一家全員怪我も無く、無事に帰国した。

非常なる幸運では、あったのだ。



 *       *       *



上記の人殺しの話。 な、なんと、叔父の自慢話なんである。 手柄話でも、
する如く、繰り返し繰り返し話すのだった。

兄貴は、こんな体験、した事無いだろう。 と言う具合に、鼻高々と自慢する
のである。 お陰でワシ。 同じ話を十回がとこ、聞かされた。



ある時、鼻に付いてしまい。 ワシ、次郎叔父に言ったのだ。

叔父さん、その時何故、トンネルの手前で、列車を止めなかったのですか? トン
ネルの前で列車を止めて、乗客にはトンネルを歩いて貰えば良い。

出口で、もう一度乗せて、それからまた走れば、死人は出なかったでしょうに
 ・・・  と。



ワシが、これを言った時。 次郎叔父。 ワシを、まじまじと見てな。 次いで
物凄い大声で言ったのだ。

兄貴 兄貴の息子は、あたま、良いわ あたま良い
あたま良い あたま良い あたま良いッ



ワハハッと豪傑笑いしてから、急に押し黙り。 すっと立つと、出て行ってしまっ
た。 失礼な事を言うものじゃないと、ワシは母に、お目玉を喰らった。

現在の時点で、こんな馬鹿をした人。 いかなる罰を受けるか? 次郎叔父が
その時、何百名の朝鮮人を殺したか知らないが、

彼の人生に、その後、その為に、どうって事、ひとつも無かった。
世の中って、そんなものであろうか?



 *       *       *



それどころでは無い。 帰国して直ぐにだ。 大阪の繁華街。 目抜き通りで
饅頭屋を始めたのだ。 敗戦直後である。

人々は甘い物に飢えていた。 饅頭、作るそばから飛ぶように売れて行った。
短期間に叔父は、大金を得た。



事業は拡大し、今や大阪一円の結婚式場へ饅頭赤飯など納めておる。 不動産や
アパートなどにも投資して、大資産家となった。

父の兄弟の中で、養子に行った 三郎叔父と並ぶ、大成功者ではある。



晩年は、悠々自適。 高級車を転がし、日本全国を遊覧の旅。 行く 先々で、
美味と美酒。 酔いしれつつも、事業に手抜かり無く、

誠に誠に、人の羨( うらや )む人生ではあった。 最後は畳の上。 名医に
脈を取らせつつ、家族に看取られて大往生した。

文句なしの、大往生ではあった。



六百人殺したからと言うて、別に、どうって事も、無いのだ。



 *       *       *



人生とは、不可解なものだな。 でもね、

こんな過去を持つ人。 人様( ひとさま )の親を、息子の面前で罵倒しては、
いかんぞな ・・・ と思う。  こんな具合に書かれたりするから。



でも今さら、この次郎叔父を、どうすれば良い?  中国や朝鮮の真似して
墓を暴( あば )き、骨を取り出し、地べたに叩きつけますか?

叔父の軽はずみで、つまらん死に方をされた、数百名の朝鮮人の方々の、ご冥福を
祈るしか有りまッせん



ワシは一時期、この事故の記録を追及した事が有ります。 なにしろ朝鮮戦争
開始、三年位前です。

それどころじゃ無かったのでしょう。 記録は出ませんでした。 無残な事故では
あります。 合掌するのみ ・・・ です。



 *       *       *



別の方の話に依れば、大阪で成功してた頃。 夜、店の雨戸が、がたがたと鳴ると、
次郎叔父夫婦。 ぎょっとして、布団から身を起こしたそうです。

朝鮮人が、仕返しに来たのではないか? と思ったらしい。 そんな事も有った
のです。



 *       *       *



次に余談として、次郎叔父の成功のヒントを、ひとつ紹介したい。



皆さん方は、結婚式場のお赤飯。 じっくりと見た事、ありますか? あれの、
いけない造り方。

次郎叔父は、自分の発明だと、言って止まぬのですが。 あれ、お米と、小豆と
別々に炊く のです。



そこへ、お湯で溶かした、小豆の元なる薬品。 炊き上がったご飯の上。 パッパッ
と振り掛ける。 添加物で作った小豆の味です。

本物の小豆は、少な過ぎて、味が出ないからです。 そして次なる問題は、その
小豆の量です。



結婚式場がケチで、お赤飯の納入価格を、叩( たた )きに叩いた時は、
次郎叔父。 騒ぐ事なく 小豆の分量。 単価に合わせて少く する。

ご飯と小豆を、別々に炊く から、分量の調整は簡単だ。 秘密だけど、小豆の
元には、三重県の名物。 赤福( あかふく )が関与するのです。



赤福のは、小豆の中身だけ。 殻は捨てる。 この殻を貰って来る。 細かく 砕い
て、それを使うのです。

小豆の味のする食品添加物と混ぜ、お湯で溶かして、ご飯に振り掛け、お赤飯に
するのです。 



そんな、お赤飯に出会ったら、食べる前に、じっく り眺めて下さい。 赤飯らし
い痕跡は、赤福で使った小豆の皮です。

味は、言うまでもなく 不味いです。 保証付で不味いです。


これを我が 次郎叔父。 わしが日本で最初に考案したと、言って止まぬのですが、
本当でしょうか?  知ってる方、教えて下さい。



 *       *       *



あの列車事故についても、ご存知の方。 是非是非、教えて下さい。



 *       *       *



ここに出た大阪の次郎叔父とは、土田義雄である。 一代記でも書きたい
様な人生だった。

次郎叔父は父の兄弟の中で、最初に逝った。 これを書いている現在、菊枝未亡人
大阪市東成区の超々豪邸にて、優雅な晩年をお過ごしである。



蛇足ですが、ワシの学んだ小松市の芦城中学校で、こんな事件が有りました。
或る先生、ワルした生徒の一人を、得意の柔道で投げたのです。

打ち所悪く、生徒は死にました。 先生、勿論、懲戒免職。 市の教育委員会、
土下座して両親に謝罪。



問題はこの後である。 事情通に依れば、免職された先生、行き場所が無い。
何処までも何処までも、軽はずみが付いて廻ったそうです。

かなり悲惨だったとも聞きました。 それに比べりゃ、大阪の次郎叔父。
天国です。

でもそんな人間、息子の面前で、彼の父を罵倒してはいかんですな。



  *       *       *



次段では、ニセ警官だった四郎叔父について、書こうかと思う。

彼もまた面と向かい、ワシの父を扱( こ )き下ろした人物だが、ニセ警官の
分際にて、長兄をこき下ろす資格。 有りや無しや?  を、問うてみたい。






*       *       *




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