*  自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 )  *   < kujila-books ホームへ帰る >

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第 2 章  *  久治良家の遺産相続戦争

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< ニセ警官の四郎叔父に、物申す。 >



四郎叔父が、ニセ警官だったとは、
ワシの父、久治良伊一。
一言たりと言わなかった。
大阪の 次郎叔父が来てバラさなくば、
ワシ知らずに人生、終ったと思う。
わが父を悪口( あっこう )せしニセ警官の 四郎叔父よッ
これを、何と評価するッ

この段、思いも依らぬ反応が有った。
銅像に成られた和田伝四郎元小松市長である。また
その件も含めて、ムコ養子に行った三郎叔父と激論した。
その内容、この段以降、順次紹介する。



*     *     *





< 四郎叔父は、ニセ警官である。>


四郎叔父は、満州開拓団に応募した。 十代で彼の地に渡った。
その写真、残されている。 戦前の、セピア色した古い古い写真である。

仲間二名と並んで撮った写真。 公的な刊行写真集にも集録されたから、
見る事が出来る。 歴史的な証言写真ではある。


戦局の急迫により、現地で応召。 次郎叔父は、関東軍の兵士と成った。 敗戦。
旧ソ連領、シベリアに抑留された。

帰国して見れば、女房も子供も行方知れず。 新規まき直し。 新時代の人生
を始めたのである。


 *       *       *


警察官を志し( こころざし )、採用試験に応募。 ここからの経緯は、本。
< 爆笑五十歳、歯学部へ行く > の、第四章、最初の段に書いた。

それを以下に、引用する。 すでに読まれた方は、飛ばされよ。


 *       *       *


  < 和田伝四郎翁、我が祖父を叱る。>



警察官といえば、ワシの叔父に巡査が居た。 昭和二十三年、満州から
帰国。 警察官、採用試験を受けた。 落第。

父親( ワシの祖父 )市役所の参与。 時の市長、ひげで有名な和田伝四郎へ、
お願いに行った。


和田市長、その場で電話。 不合格が合格に成った。 電話置いて市長。
ワシの祖父に、怖い顔。

そんな話、試験の前に、来なさいッ

祖父、恐縮して額(おでこ)、床に付いたそうな。


これ、法的には時効である。 しかしこの偽( にせ )警官に、永年勤務の
勲章を授与するの、如何なものか? 公務員の見識、疑われはしないか?

昭和二十三年、古き良き時代のお話じゃ。 この年、ワシが生まれとる。


ワシの祖父、市役所を退職すると、家の前。 不動産屋の看板を出した。
祖父の不動産屋。 少し特殊。

和田市長の広大なる土地、売却する為、だけの不動産屋。

なにしろ小松市の、かなりの部分。 市街地の相当な部分。 和田家の所有
だったのだ。 いわゆる大地主。


小松市の名物市長。 和田伝四郎翁(おう)の銅像。 市役所の前、公会堂の
横に、立っておる。 まこと、翁は、銅像に成るだけのこと、有った。

銅像を見上げる毎(ごと)、ワシは、古き良き時代を懐かしむ。



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( 四郎叔父とは、土田俊策 である。 先年、他界した。

   彼の人生は、あの激動時代の、歴史的な生きざまだった。
   自分史を残して欲しかった。 )



***********************************************************************



大阪の 次郎叔父の話を聞いたワシ。 驚くと同時に、
文字通り、怒りで怒髪( どはつ )、天を突いた。

大阪の言が正しくば、四郎叔父。
国法に背( そむ )く、ニセ警官ではないかっ



そんな者が、人様( ひとさま )の親を、扱( こ )き降ろす資格。
有ると思うか?



ワシは、その場で父に、事実かどうかを質した。 父、顔をそむけ、そんな事
知らなくて良い。 と言うた。

ワシが重ねて真偽を糺すと、そうだと首肯( しゅこう )した。


ワシ、母にも聞いてみた。 同く 真実だった。 次いで、五郎叔父に会い、
糺( ただ )してみた。

五郎叔父も、四郎叔父は不正採用の ニセ警官 であると言うた。



***********************************************************************

( 上記の文の、思わざる余波について。)


ウイギペディアと言う百科事典が、ウエブに有る。 そこへ和田伝四郎の伝記が
出た。 ワシも見た。

一ヵ月後、削除。 削除の理由が上記、< 和田伝四郎翁、我が祖父を叱る。>
の一文であると、或る方から言われた。


本当にワシの文が原因か? 何をもちて断言するのか? ウイギペディアは、
読者の入力である。 和田伝四郎の伝記を、誰が入力したのか?

ワシは知らぬ。 ワシに通知された方も知らぬ。 であれば、ワシの文が原因で
和田伝四郎の項目が削除されたと、どうして言える? 推定に過ぎぬ。



ワシ、和田一族の方に、手紙で照会した。 反応が無いので、何とも言いかねて
おる。 現在は、そう言う状況である。 反応が有れば、ここに記す。



ムコ養子に行った三郎叔父こと 島隆三との口論は、この章に、段を付加し
て掲載する。

表題は < 和田伝四郎小伝 >として、元市長に対するワシの評価も書く。 また
三郎叔父こと 島隆三は、現在生きておる。 実名を出すについて、本人の承諾を

得た。 五郎叔父の承諾は無いから、死去までは、五郎叔父で行く。
嫁に行き N 家を断絶させた叔母は、彰子(あきこ)である。



***********************************************************************



< 石川県警人事課の鈴木氏は、人情家であろうか? >


次いでワシ、石川県警の人事課へ電話した。 鈴木なる人物、電話に出た。
この方、2010年の現在、ご生存の筈。

その時、この方。 面白い事を言われた。



( ねえ、久治良さあ 〜 ん。 そんな昔のアラ。 ほじくるの、止めましょうよ。
  みんな仲良く 生きましょうよ。

  昔の罪なんて暴いても、詰まらんですよ。 それより、現在を真面目に生きて
  みんなで、みんなで幸せに成りましょうよ

  ねっ、ねっ、そうでしょ?   久治良さあ 〜 ん  )


 *       *       *


この鈴木氏、まだ生きて居る。 ワシが嘘を書けば抗議する。 ワシ、嘘は
書いておらん

つまり石川県警の人事課は、四郎叔父の警察官採用に不正の有った事。 知って
たのだ。



だったら何故、退職後に勲章を授与したのか?



石川県警よッ 今後、犯人を逮捕しても、過去の悪事を穿( ほじく )る
の、止して呉れッ

身内は大目。 庶民は容赦せぬ ・・・ では。 仁義に反するぜ。
違うか? 鈴木殿



( ニセ警官と、この文章。 石川県警に申告してある。
  ワシ、逃げも隠れもせんぞッ  返事を待つッ

  言うたんに、返事。 まだ無いんじゃよ  )




 *       *       *



人生。 自分の側に何か有る時は、人様( ひとさま )の親、息子の面前で
ののしるが如き行為。 してはいかん ・・・ のでは?



それと、もうひとつ。 四郎叔父の一家だ。 四郎叔父、(ニセ)警官だった。
ひとり娘、学校の教員である。 そのムコさんが、な、なんと石川県の検察庁の

事務官である。



つまり四郎叔父一家は公務員が三名だ。 三名が五十才台の年収の合計は、
二千万を越す。 退職後の年金の合計は、一千万を軽く越す。

四郎叔父が死去しても、残された夫人の年金で、合計一千万に成る。 なるほど、
公務員は強い。


こりゃ官公労が、目の色変えて、決死の形相で、赤旗を振る筈だ。 ワシなら
ゴルゴ 13 を雇っても、人殺ししてでも、既得権を守るね。

かっての革新、今や最強の保守だ。



だけどね、諸君。 息子達を争わせて止まぬ、久治良家の伝統。 良くないな。
曽祖父の伊三次郎しかり。 祖父、伊義(いよし) また同罪だ。



 *       *       *



我が祖父の伊義( いよし )は、遺言をもちて、全財産を長男へ、ではなく。
妻( ワシの祖母だ )に相続した。 

ワシの父、全財産を譲る。 の約束で、三十六歳まで、小松製作所の給料。
全額袋のまま、親に渡してた。 騙された。 裏切られた。



父、三十六歳の時、日本は戦争に負けた。 小松製作所( 現 コマツ )の経営も、
風前の灯( ともしび )となった。 時の市長 和田伝四郎、よくぞ河合良成を

見付けて呉れた。 この一事だけで銅像の資格、充分だ。 河合良成新社長、
小松製作所を大改革した。



この時父は、関東への転勤を拒否して失職した。 給料、お仕舞い。 すると祖父。
ワシの父に、家を出て行けと言った。



父は無一文である。 何処へ行けと言うのだ。 父が家を出ぬので、祖父、その家
を、ただ同然の値段で叩き売ろうとした。

買わないか? 言われた隣家。 気味悪がり買わなかった。 相場の五十分の一だっ
たそうな。



その直後に、祖父は胃潰瘍で、どす黒い血を吐いた。



恐くなり、売却は沙汰止みにした。 祖父が死ぬと、住んでた家だけ、父に
与えられた。

三十六歳までの給与の全額。 何処へ行ったのだ? 失職すると、出て行け
とは、何事であるか?



祖父は、無一文で進退に窮して居る父と家族の住んでる家。 叩き売ろうと
したのだ。

諸君、我が祖父の、この行為。 どう評価する? 人として、親として、
正しいと思うか?



 *       *       *



さて敗戦で、倒産の危機に直面したコマツ。 当時の小松市長だった和田伝四郎。
東京の河合良成に会い、コマツの再建を頼んだ。

河合良成は承諾し、乗り込んで来た。 当然ながら、旧式のベルト掛けの機械。
全部放出。 新式の機械と入れ替えた。



現在、東京は九段。 昭和館の七階に展示されとる旋盤が、その時、出されたもの
なのだ。



クズ鉄として、溶鉱炉 行きの旋盤。 ワシの父に買われて、第二の人生。 更に
は寄贈され、戦時中の生き証人として、

みなさんの目に、触れとるんじゃよ。 人間の人生も不思議だが。 旋盤の人生も、
分らんものじゃのう。 2010年で、あの旋盤。 九十歳かな?



あの旋盤。 ちゃんと動くのだぜ。 父とワシが、整備に整備を重ね、仕事に
使ってたのだ。 あれをだぜ。 現役だったのだ。

壊れてんじゃないぞ。 間違わないで呉れよ。 スイッチ、入れれば
立派に動くのだッ 仕事してた現役の機械なんだぜ



戦争中は、十代の学徒に使われて、幾万とも知れぬ駆逐艦のバルブ、加工した。
戦後は(株)コマツのブルドーザーの、キャタピラーのテンションボルト。

これまた、何万と加工した。



詳しくは、本、<爆笑五十歳、歯学部へ行く> の第五章、二段目に書いといた。
そこを読むのも何だが、むしろ、

東京九段の昭和館へ行き、あの旋盤を君の手で、直( じか )に触って呉れよ。
十代の学徒。 真冬でも素手で仕事してたんだぜ。 冷たい

なんて物じゃなかった筈だッ



今の君らなら、口、尖( とん )がらせて。 文句、ブーブー言うだろう。
戦時中だ。 暖房なんて有るかいな。

あの旋盤。 それを全部、見て来たのだよッ



 *       *       *



< 腹が立つから、又書いてしまう。>



戦後の混乱期だった。 父は会社から、神奈川県の鶴見工場への配置替え、命ぜ
られた。  神奈川県は遠過ぎる。 父は、コマツを辞めた。

辞めたは良いが、職人たる父。 不景気の最中だ。 職が無い。 収入が無い。
当然、祖父に渡す金も無い。


すると祖父。 父に勘当を言い渡した。 そればかりでは無い。 住んでた家。
出て行けッ  とまで、言うた。

金は無し。 仕事も無し。 家を出て行けと追い立てまで喰った。 出て行こ
うにも、行く あてが無い。 食べる物も無い。 どうすれば良いのだ?


父が困り果てていると、祖父、我らの住んでる家を、だぜ。 一家の住んでる
家をだぜ。

隣家に売ろうとしたのだ。 相場の五十分の一で、だ。 一千万なら二十万だ。
二十万にしますから、買いませんか?  祖父は隣家に問うたのだ。



駅前の大通りに面した土地を、だぜ。 祖父は鬼か? 鬼に近い物だろう。
こんな血が、我が久治良家には流れているのだ。 おそろし、おそろし。



 *       *       *



気味悪るがり、隣家は買わなかった。 買わなかったから良かったのだ。
もし、買っておれば、父と妻と姉と、まだお腹の中のワシ。 無一文で

路頭に迷ったであろう。 給与は全額、親に出してたから、小銭さえ無かった。
幸運と言うべし。

買わなかったお隣 ( となり )さん、本当に、本当にありがとう



祖父の伊義。 その直後、胃潰瘍で血を吐いた。 恐くなり、売却を止めた。

祖父の胃潰瘍。 死ぬまで続いた。 エビのごとく、く の字なりに寝て、うつ伏
せのまま、長く 苦しんで死んだ。



祖父も、それなりに罪の意識。 有ったと見える。 当時の祖父。 小松市東町
なる、寺の多い静かな通りに住んでいた。

その家、元来、久治良家のものじゃ無い。 N 家の物である。 N 家は、子供が
生まれなかった。



親籍で、子沢山の我が久治良家。 娘を養女に出した。 N 家の全財産。 祖父が
相続管理した。

祖父はそれを、自分の財産と一緒にして、自由に使った。 かりに N 家が、今も
続いてるならば、許されたかも知れぬ  ・・・・・  なのに、だ。



祖父伊義( いよし )、まだ生きてる内に、だぜ。 N 家を継がせた娘。 嫁に
行ってしまい、 N 家は断絶。

詳細は、次段にて書くが、気味悪いと、思わんか? ワシなら怖く て寝れ
なく なる。 すべての財産を貰いながら、その家を断絶したのでは、

N 家の一族、化けて出る。 ワシが N 家の人間なら、只では済まさぬ



 *       *       *



祖父伊義。 ワシの父を、無一文で追い出そうとした。 出て行かぬので、その家
を、二束三文で売ろうとした。

さらには、N 家の全財産を取りながら、その家を断絶させた。 胃潰瘍。 自業
自得かも。 当然かも。 ワシはそう思っておる。



これを書きながら、ワシ。 久治良家って、一体全体。 どんな家系なのかと、
訝( いぶか )しく 思ってしまう。

諸君らは、どう思う?



 *       *       *



祖父、伊義の晩年。 胃潰瘍との戦いだった。 うつぶせになり、く の字で
ないと、寝れなかった。 胃を、錐(キリ)で刺されてるような痛み。

そして毎晩毎晩、大きな缶詰の缶、半分くらいの痰(たん)が出た。 七十五歳。
胃ガンも、疑われた。 苦悶の表情で、もだえ苦しみながら死んで行った。



遺書が残された。 ワシの父。 住んでた土地と家だけを貰った。 住んでた
家と土地。 だけである。

それさえも祖父、二束三文で売ろうとした。 気味悪がり、買わなかった方に感謝
する。



当時のワシの一家、無一文。 出て行けッ 言われても、行く当てが
無い。 一円の金さえ、不自由してたのだから。

なのに祖父、父を追い出そうとした。 鬼めッ と、ワシは書いてみる。



遺産は、挙げて祖母に与えられた。 祖母経由で弟たちと、嫁に行って N 家を
潰した娘(彰子:あきこ)に、与えられた。

五郎叔父。 駅前大通りに面した一等地を、貰うや否や、見境も無く 店子
(たなこ)の歯科医院に売却。 郊外へ出て行った。



駅前大通りの一等地を、だぜ。 軽はずみと違うのか?

二年後だった。 言わんこっちゃ無い。 こんな事が起こったのだ。 隣りのパチ
ンコ屋。 店を拡張したい。 土地を売って呉れませんか?

歯科医院の先生に言ったのだ。



パチンコ屋の坪単価たるや、五郎叔父の売値の五倍だった。 しかもだぜ。
移転先の代替地は、こっちで探します。 その上、

歯科病院を、こっちで建てて、それを上乗せします。 この条件を加味
すれば、だよ。 五倍どころか、それ以上に成るッ



五郎叔父よ。 何故、いとも簡単に、あの土地を売って仕舞ったのじゃ?
後の祭りとは、こんなのを言うのよ  ・・・

これを現在の不動産屋に話すと笑い出す。 遠い遠い昔の、夢みたい時代の
ものがたり ・・・ なんだそうだ。

かって坪、二百万プラスアルファ 〜 した小松駅前の土地。 今や十五万である。
なるほど、夢みたい話だ。



 *       *       *



昭和四十年(1965年)。 自転車の時代だ。 パチンコ屋が、駅前で
開店すると、客の自転車、道に溢れてた頃の話だ。

移動手段、列車だけの時代。 車を見ると人だかりがした時代。 最近じゃあ
(2010年頃)駅前大通りの値打ち、二十分の一になった。



小松駅前の土地。 かっては坪、二百万円を付けたのだ。 今じゃあ、二十万?
三十万? いや十五万ですと訂正された。

人の流れ、変わってしまった。 移動は車だ。 汽車の通勤が恥ずかしい。
パチンコ屋だって郊外だ。 広い広い駐車場が付いてないと、

商売に成らない時代だ。



 *       *       *



久治良家の財産の大部分を相続した祖母。 小松駅の裏の広大な土地に、小屋
を建てて住んでいた。

その土地。 三等分して、道路から三分の一。 嫁に行って N 家を潰した娘夫婦に
与えた。 真ん中、ニセ警官の四郎叔父夫妻に与えた。



彼らは、( 只で貰った )土地に家を建てた。 祖母は、その奥の三分の一に
小屋を建てて住んでいた。

祖母の住む土地を、五郎叔父一家。 我らに呉れよ 呉れよ で、
大変だった。 五郎叔父、もひとつ貰う魂胆だ。



五郎叔父の息子。 仕事で出張すれば、必ずお土産。 お婆ちゃん、お婆ちゃん
お土産を買って来ましたよ 一家全員で、サービス満点。

そして言わく、名義だけで良いから、この土地を 五郎叔父のものにしてッ
お婆ちぁ 〜 ん   なみだ流してお願いしたそうな。



その頃だった。 この祖母、ワシの家に来るのよ。 そしてワシの母に、嫌味
たっぷりに言うのだ。

五郎一家は、わしに、こんな好い事して呉れる。 それに引き換え、この家の
連中は、長男一家だと言うのに、何もして呉れぬッ

何ちゅう、親不孝な長男一家じゃ  ・・・ とね。



こんな事、わざわざ言いに来る。 と言うのが、如何にも久治良家の人間
らしい。 何度も何度も言いに来る。 ワシの母、寝込んでしまった。

ご承知の如く、ワシも久治良家の人間では御座る。 それで、こんな本、書く
のだな。  はばかりながら ・・・ ですわ



  *       *       *



ワシ、母から心配された。 ひょっとしてこの子、あのお婆さん以上では
あるまいか? (ないだろうか?)そんな気がする ・・・ と

そんな人間では御座ります。

するとワシは、久治良家の精華かも知れぬ。 久治良家の華かも知れぬッ
皆様からご覧なされて、如何な物で御座んしょうや?



 *       *       *



ワシの祖母、ある意味、確かに、大変な婆さんでした。 その父親も、普通で無
かったらしいです。 ワシには祖母方の、曽祖父です。

小松市の郊外。 裕福な中地主だったのに、無類に( あるいは )病的に裁判好き。


家督を相続するや、裁判。 その裁判が済むと、またまた裁判。 田舎では
あります。

明治から大正の時代です。 裁判のネタ、そんなに有りますかいな。 村人も、
ほとほと困り果てたらしく、曽祖父にまつわる色んな話が残ってます。



祖母は、その娘だ。 だからで、ありましょうか? ある時だ。 何かでムカッと
したらしく。 財布と物入れ一つ持つと小松駅。

ポッポ汽車で大阪です。 当時、小松から大阪まで十時間掛かった。 大阪駅から
環状線。 次郎叔父の饅頭屋さん。



次郎叔父の嫁は、町内の旅館屋の娘だったから、近所で気安い。

彼女を捕まえて、人様の悪口。 ワァ 〜 ッと、一日まくし立て、疲れ切ると、
バタン。 寝てしまう。



次の朝、目が覚めて、わし小松に帰る。 言うて大阪駅。 汽車に乗って、
またまた十時間。 小松へ帰って来る。

こんな婆さんだから、長男一家は何もして呉れないと、嫌味を言いに来た
のも理解できる。 大きなお世話では、ありましたが ・・・



 *       *       *



判らんのは、母の、この時の嘆きだ。 お姑( しゅうとめ )さんの嫌味に
泣く のなら判る。

母は違うのだ。 母は自分の息子が、つまりこのワシが、婆さんと、その父親と、
大阪の次郎叔父を、全え 〜 ん部 足した人間では無いかと、

それが心配で、それが心配で、泣いて仕舞うと言うのだ。



大阪の 四郎叔父、言うのも、無茶苦茶な男でな。 世の中、真実だから言っても
良いとは限らない。

ある時だった。 親しい方が、ご臨終だった。 大阪の四郎叔父、病院へ見舞いに
行った。 そしてご家族、ご一族。 おそろいの前で、です。


病人のいけない話など始めてね。 言っちゃいけない秘密まで、べらべらと、
まくし立てるものだから、

息子さんに、病室から、叩き出されて仕舞った。 それをまた 次郎叔父、
近所と親戚に、わしは、こんな目に会った。 こんな目に会ったと、

触(ふ)れて歩くのだから、飛んでもねえ叔父だった。 ワシの母。 ワシが、
その手の人間じゃないか? ・・・ と、



それが心配で心配で、泣くのだとよ
当って無い事も、無いかな?



 *       *       *



五郎叔父一家、まんまと成功した。 祖母の住んでた土地。 名義を 五郎に
して貰ったのだ。

その結果、どう成った? 五郎叔父一家、手のひらを、反(かえ)した。 あれ
ほど、お婆ちゃん お婆ちゃん



だったのが、名義が変わった日から、顔も見せない。 それどころでは無い。

婆さん、その土地を売りたい。 婆さんがそこに居ると売れない。 どっかへ行っ
て呉れ 出て行って呉れッ



追い立てを始めたのだ。



それで祖母、どうしたかって? 乳母車を押して、ワシの家へ来た。 父とワシは
仕事で工場だ。 家には母しか居ない。

我らと入れ替りに、祖母が来る。 朝の八時だぜ。 お昼にうどんを一杯。
それだけで、朝の八時から夕方の五時まで。



のべつ幕なし、五郎一家の悪口だ。 これを三日間、連続だ。 ワシが止めな
ければ、何時まで続いたか知れたものじゃない。

ったくもう。 元気の良過ぎる婆さんだった。 くそ婆( ばばあ )の、
典型だった。



三日目。 ワシ、家へ行った。 夕方の五時だ。 祖母、ふいに現れた
ワシを見て、悪口を止めた。

帰ると言って、立ち上がった。 ワシ、祖母の前に、立ちはだかった。 恐い顔し
て、祖母に言った。



おいっ、こらッ  糞ババァめッ
五郎一家の悪口。 いい加減にしろッ

悪口なら、もう来るなッ



頭ごなしに、 怒鳴り付けてやった。



 *       *       *



父には、ビタ一円、呉れずに、悪口だけ言いに来るとは、太え、ババァだよ。
地獄に堕(お)ちるぞッ

って、言ってやった。



祖母。 あご、ガクガクとなり。 身体、ワナワナとなって。 ヨロヨロと、危う
い歩みで、玄関から出て行った。

ワシも祖母のあとを追い、外に出た。



全身をわなわなさせた祖母。 乳母車を押し。 去って行った。 その後姿。
通りの角を曲がるまで、ワシは見ていた。

ワナワナと、全身が揺らいでいた。
生きてる祖母を見たのは、これが最後だった。



本来なら、久治良家の土地。 ワシの父が相続する。 その約束で、三十六歳まで
小松製作所 ( コマツ ) の給与の全額を、渡してたのだ。


小使いさえ、呉れなかった。 ワシの母、よく嘆いてた。 お風呂へ行くにも
いちいち祖母から風呂賃を貰わないといけない。

当時の風呂代、五円である。 母が、お風呂へ行きたいと言うと、祖母。 聞こ
えない振りをしたそうな。



母が、さらに言うと、祖母は顔をゆがめ、財布から五円玉を取り出し、床に投げ捨
てたそうである。

そして吐き捨てるように ・・・ この嫁は、何という無駄使いの嫁だッ
もう、顔も見たくないッ  ・・・ って言ったそうだ。



諸君、こんなの、どう思う?



 *       *       *



今の時代なら、嫁さん、すぐ出て行く。 昔は、出て行こうにも、行く当てが
無かった。 そんな時代だったのだ。

長男の嫁は、今も昔も損な稼業ではある。



父、三十六歳まで、全ての給料を出しながら、住んでた土地だけ相続。 最大に
貰ったのは 五郎叔父だろうか?

彼は家を、二回も新築した。 いずれも貰ったお金で。 自己資金は、
一円も使ってない。



ワシかって、これを五郎叔父に言った。 彼いわく。 最大は、わしでは無い。
大阪の、次郎兄貴だ。

次郎叔父が最大?

そうだ、次郎兄貴が最大だ。 事業に要る ・・・ 言うて、大金を持って行った。
億は下らないと思う。



ワシは、へんっ と、鼻を鳴らしてやった。 テメーだって、一円も出さ
ずに、大金を貰ったのだ。

五十歩百歩だろうに。 テメーの家の大黒柱が曲がらなきゃあ。 こちとら、
間尺に合わねえや ・・・ って言ってやったけど、

負け犬の遠吠だったな。



 *       *       *



ある時、嫁に行き、N 家を潰してしまった叔母(彰子)が、ワシに言った。
お兄ちゃんは、お金。 一杯持ってたから、もう要らなかったのよ。

わたし等は、お金無いから、貰わなくっちゃ ・・・・ とねっ



これを聞いた時、ワシは流石に、悔しくて目から涙が出た。 悪(あく)たいの
ひとつも、吐かずには居れなかった。

当時のワシの一家。 米びつに米が、一粒も無かった。 一円の金も無く、祖父に
出て行けと言われたのだ。



あの時、気味悪がり、ワシの一家の住んでた家と土地を買わなかった隣家の方。
ありがとう 本当にありがとう

あの時、買われたら、それこそ我が一家。 野垂れ死にだった。
こんな文章が書けるのも、あの方のお陰だ



ありがとう御座います。 心から、感謝します。



***********************************************************************



N 家を潰した叔母について、チラと書いた。 それは又、我が祖父、伊義において
も、許されざる、もう一つの悪事なのだ。

N 家の全財産を貰いながら、N 家を断絶させると言う。 飛んでも無い行為につ
いては、



次段にて、詳細に書く。





*       *       *


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