*  自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 )  *   < kujila-books ホームへ帰る >

< この本の ホームへ帰る >

< 前のページへ帰る >

< 次のページへ進む >



第 4 章  *  ワシの同級生賛歌

2 / 10 


< 久保田麻琴君は少年時代からスターだ >





音楽家・久保田麻琴君の本名は、久保田誠である。
その久保田君、ワシの記憶の最初から音楽家だった。

我が同級生では勝山清次君と双璧に、ウィギペディアに顔を出しとるし、
岩波新書からは・本 < 世界の音を訪ねる > なども刊行しとる。
一種、特異的人気の、スター少年だった。

それやこれや、この段が、
ウィギペディアの記事の肉付けにも成ればと書いてみた。
ワシの見るところ、人生は全て少年期の振る舞いの発展延長である。

久保田君も例外では無い。今だに少年期と同じ生き方をしとる。
様に、ワシには見えるのだが、どうであろうか?
では、書いてみる。
素材が有名人だと、リキが入る。



*     *     *





< 久保田君は、秘かなる人気者だった。>


秘かなるってえ所が、ミソでな。 普遍的な、ポピュラーな、一世を風靡
( ふうび )するよな人気では無い。

あくまでマイナーな、仲間内の人気と言おうか ・ ・ ・ そう言う物が
子供時代から、久保田君の身に、まとわり付いていた。



ワシ小学生時代、二度ほど、彼と同じ組に成った。 当時は一年間を三つ
に編成する。 その都度、級長を選んでた。

春の四月、選挙で久保田君。 夏休みまで級長だ。 二学期、今度はワシ
が級長をする。


正月明けの三学期。 またまた久保田君。 再度の級長選出だ。 ワシ、
子供心に感心した。

人気有るなぁ 〜 。 特に女の子に ・ ・ ・




当時の級長なんて、成績順だった。 最近はそうでも無いそうだが、当時
は完全に、成績順。 成績の良いのが級長に成った。

久保田君、トップグループの成績だったけど、一番二番と言う出来でも
無い。 だから、こりゃぁ 人気だなと思ったのさ。



当時から彼、芸事と言うか、目立つ事が得意でな。 忘れもせん。 教室
の余興の時間。

月光仮面のかっこして、教壇に現れたのだ。 あれは受けた。 教室は大
歓声。 余りに凄い歓声だったので、隣りの教室の先生、何事かと

覗きに来たよ。



顔を月光仮面の白いマスク頭巾で隠し、これまた純白の、上下のコスチュ
ーム。 カッコいい白のマントをなびかせながら、

両手にゃ拳銃なんか構えてよ。 教壇にパッと飛び出して来るんだから、
こりゃあ 〜 受けますよ。



この時だ。 右横に居た女の子、うっとりした表情でワシに言ったのよ。
ねえ 久治良君。 久保田君って美男子だと思わない?

ワシ、悔し紛れに怒鳴り付けてやった。 お前はアホかッ
あいつはマスクしてんだぜ   って。




だけど駄目なんだ。 女の子、うっとりして、握り締めた両手を胸に当てて
久保田君の姿に、ぞっこん、見とれてやがんのよ。

こんなスター的人気が、子供時代から、き奴には有ったのだ。 悔しいか
ら、この女の子の名前を書いて仕舞うぞ。 ( 旧姓を )酒井和美 言うてな。



今、結婚して、神奈川県は藤沢辺りに生息しとる筈だ。 けっこ可愛いい
と、されてた女の子だった。 あくまで、されてただけであると押えて呉れい。

久保田君、この手のファンに、事欠かなかったから選挙に強かったのだ。
これがワシの認識だ。




< 久保田麻琴( 誠 )君は、どんな家の子か?>


彼がウィギペディアに出てる事、既に書いた。 ワシの同級では、勝山清
次君と彼の、二人だけである。

読んで新発見、彼は京都生まれだったのだ。 ウィギペディアには書いて
無いが、彼のご両親、最初はチンドン屋だった。



昔はお店が開店する。 チンドン屋さんに宣伝を頼む。 チンドン屋、ポ
スターを背中に付けて、鐘と太鼓。 相棒がクラリネット。

チキチキ・テンツク。 クラリネットが ヒヤラ・ヒラ。 街を練り歩く。
その後を、子供たちが付いて行く。



ほど良い所で、キャラメルなんか、貰えたのだ。 昔は、どんな町にも
チンドン屋さんが居たもんだ。

久保田君のご両親も、そうやって全国を巡回してたに違いない。 どんな
縁が有ったのか、そこは知らぬ。



とにかく石川県は小松市に、腰を据えたのさ。 そして映画館の経営を始め
た。

終戦後の映画館ブーム。 今の若い人には想像も出来無い。 最近の映画館、
指定席。 映画が終れば、追い出される。



  *       *       *



終戦後の映画館、立錐( りっすい )の余地無し。 東京の通勤電車を連想
して呉れい。

あんな感じに混んでいた。 だから椅子に座れるか座れないかは、死活問題
だった。 我ら、血相変えて椅子の取り合いをしたよ。



武運拙( つたな ) く、立見と成れば、こちとら子供だ。 大人の中では
スクリーンが見えやせん。

そんな場合は、見えねぇ 〜 ッ って、喚( わめ )くのさ。 たいてい
前へ出して呉れた。 だけど立見だぜ。 誰が席を譲る?



ワシ今、六十三歳。 東部東上線。 席を譲られた事なんて、一回も無いぜ。
むしろ、こっちが譲った事なら有る。

平成の御世でさえ、これだ。 昭和の三十年頃だぜ。 誰が映画館の席を譲
るかって言うんだ? だから立見してた。



  *       *       *



それでも映画を見れるのが、嬉しくて嬉しくて、たまらねえ。 ( 耐えられ
ない。) あの時代こそ、日本の映画の黄金時代だった。

そこへ久保田君、小松市に五つ在った映画館の内の、四つの所有者の、オー
ナーの、御曹司様だろ。



ワシら、ゴマ擂( すった )がな。 ( ゴマを擂りました。) かくして
久保田君のケツに付いて行けば、映画が只見川。

久保田君、子供ながら親分めいた態度。 切符切りの前を顔パス。 ワシら
子分よろしく、追随しましたがな。

只見の映画、嬉しくてね。 思い出すだに顔がほころぶ。



久保田君の人生を語る時は、やっぱ、この、映画館経営者の息子に生まれた
って言う条件を見ないと、理解出来ない部分が有る。

イギリス流に言えば、銀のスプーンを咥( くわ )えて生まれて来たって
言う奴だ。



ワシ、石原裕次郎や、加山雄三なんかを思う時、少年時代の久保田君の姿の
延長線上に見て仕舞う。 おそらくそれで、間違いは無いと思うのだ。

加うるに、親分タイプだ。 まだネンネだろ。 この野郎と言いたくなる
面も、そりゃ有ったわさ。 たとえば、だ。



  *       *       *



中学一年の頃だったかな。 加山雄三もスキーの名手で、自前のスキー場
まで、湯沢に持ってるが、

久保田麻琴( 誠 )君も、中学一年の時点で、早くも今のワシ位の、準指導
員レベルのスキーだった。



ワシは何事に依らず、なかなか上達しない。 スキーも、四十歳で再挑戦だっ
たんだが、三年間、へっぴり腰。

スキー指導員に、百万回、駄目だ駄目だを言われて、やっと滑れるようにな
った。 少年時代、確か、もう少し上手かった筈なのに、滑れない。



ワシ、絶対に天才タイプでは無い。 こんな人間、五十歳からの商売替え。
体質に反する。

歯科医師には成っても、やっぱ、最初の二年間。 役に立たなかった。
これでは何の為に手相学・鑑定学を学んだのか判らん。



ワシは勉強したかったのだ。 本に埋もれて生きたかったのだと、弁明
して置く。



  *       *       *



とにかく久保田君、急斜面を、猪谷千春かトニー・ザイラーみたいに、かっ
こ良く、ウエイデルンで一気に滑降して行く。

ありゃ確か同級の、山上正一君じゃなかったか? 言わゆる久保田軍団の
メンバーだ。 彼もスキーが上手かった。



久保田君と前後して、雪の斜面を独占していた。 悔しいけど、スキーの
早熟と言う点では、ワシら、久保田君の敵では無かった。

遠く及ばずって奴だった。



ワシ、昔から、本だけは読むだろ。 スキーも同じでな。 冬の学校の教室で、
ストーブを囲みながら、スキー談義に花を咲かせたりするとだな。

偉い事に成る。 久治良が、つまりこのワシが、スキーの天才に成っちま
うのさ。 調子に乗ってホラ吹いたばかりに、ワシはスキーを、



中二の冬を最後に、中断する羽目に陥ったのさ。 諸君らも、用心した方
が良いぜ。

なにしろ久治良が、スキーで、どんな妙技を見せて呉れるか、見に行こう
と言う、ツアーまで組まれそうになった位だから。

本当に、口は災いの元だよ。



  *       *       *



< ワシは、韓信に成り損ねた。>


このスキーで、久保田君の思い出がある。 昔のスキーは木の板でな。
久保田君みたい資産家の坊ちゃまは、

カナダ産のヒッコリーの、高価な合板のスキーを履く。 ワシらみたい貧乏
人の子は、単板( たんぱん )と言うて、一枚板のスキーを履く。



最近の若者、グラスのスキーしか見て無いから、理解し難いけど、樹脂の
滑走面ならワックスが無くても、ある程度、滑るだろ。

板のスキー、ワックスが切れたりすると悲劇だ。 雪にくっ付いちゃう。
昔のスキーの金具は、カンダーハーだから、危ない。 怪我をする。



ましてやワシら、石川県の里山スキーだろ。 スキー場じゃないんだ。
適当な斜面をスキーで踏んで、ゲレンデにしたスキー場だ。

ベタベタの湿雪( しっせつ )だしな。 雪が重いのさ。 同行の仲間、
ワックスが切れて、滑らなく成った。



ワシ、ポケットに銀ロウを持ってたから、オイッ、こっちへ来い。 ワッ
クスを塗ってやらあ。 と言ったのさ。

本当はアイロン掛けしないと、効果が薄い。 ま、ゲレンデの応急処置だ。
これで我慢しろ。 なんて言いながら、彼のスキー板にワックスを

手塗りして上げたのさ。



  *       *       *



そこへ、いつの間にか久保田君。 スキーを履いたままに、だ。 片方を
立てて、ワシに言ったのだ。

オイッ 久治良、オレの板にもワックスを塗って呉れッ




こんな場合、君ならどう思う? ムッとしないか。 ワシもムッとした。
内心、この野郎と思いつつ、ワックスを塗って上げた。

只( ただ )しだ。 ついでに爪で、滑走面を引っ掻きながら、だ。
ま、この位しないと、気持ちのバランスが取れぬからと思いながら、だ。



五十年後だよ。 今、これを書きながら反省す。 あれはやはり、普通に
塗るべきだった。

韓信なら、そうしただろう。 ワシの度量不足だよ。 つまらん事をした
と、悔やまれる。 久保田君に謝罪はせんがね。

謝罪じゃ無い。 自分の器量の不足を嘆( なげ )いとるのだ。



韓信は、中国の漢の時代の武将だ。 韓信の股( また )くぐり、言うてな。
仲間にはやされて、

オレの股くぐりを、して見せろと、言われたのだ。 韓信、くぐって見せた。
仲間は韓信を根性無しと、大いに笑った。


いわゆる燕雀( えんじゃく )いずくんぞ鴻鵠( こうこく )の志
( こころざし )を知らんや。 ってえ奴でね。



ワシ、あの時、韓信に成り損ねたかなって思うのさ。 ま、久保田君のス
キー術。

怖ろしく早熟で、飛び切りの腕前だった事は、特記せねばならん。 久保田君は、
こんな具合に、何事に依らず、見せ場では、



それなりに、それなりに観客を唸( うな )らせる少年だった事、間違いは
無い。

やっぱ、歌の世界へ行くだけの素地、有ったのだ。



***********************************************************************



敗戦後、映画ブームで、ゴツイ儲けをした家の子だから、遊びに行くと驚く
事が多かった。

ある時は冷蔵庫だった。 四月だぜ。 最近なら四月にスイカが有ったって、
大した事ないが、



昭和三十年頃( 1958年頃 )だぜ。 久保田君、冷蔵庫の中からスイカを
一切れつまみ出してな、

オレん家( ち )は四月からスイカを喰ってるんだ。 言うて、そのスイカ、
我らの前で大袈裟に腕を振り回して、ポーンと自分の口に入れたのさ。



ワシなんか、こりゃてっきり、スイカがご馳走されるんだと思ったのに、
食べたのは久保田君一人。

ワシらは見学のみ、だった。 この辺が久保田君、裕次郎にも雄三にも
成れなかった原因ではなかろか?



非常にマイナーな、限定された範囲の中でのみの、スターって言うのが、
久保田麻琴君の人生の、分解小数かと思われる。



  *       *       *



それともう一つ、彼の、度を越した、ひたむきさを書かねばならぬ。
あれは小学校の、五年時か六年時か、

とにかく運動会の、百メートル走だった。



先生のピストルの合図で、一斉に飛び出すんだが、久保田君フライング。
一人で駆け出した。

その走り方が個性的。 上体が地面と平行なんだ。 両のこぶしは腰に
当て、いささか斜めに成りながら、



その姿勢のままで、誰が何と言おうと、コースの半分くらいまで駆けて
仕舞った。

運動会だろ。 周りの子供たち、間違ってると大騒ぎ。 流石の久保田君
も気が付いて停止。



別に悪びれもせず、スタートラインへ帰って来た。 その時ワシも走者の
一人。

彼の、度外れの思い入れに、いささか当てられて、こいつには敵わんと、
怖れを抱いたものだった。



あの辺が、スターに成れる奴と、成れない奴の差かも知れぬ。 彼の駆けっ
子は、スキーの腕前ほどでは無かったが、

あの思い込みの力( ちから )には、負けた。 と言う記憶が有る。



  *       *       *



中学へ進級するや、久保田君、ブラスバンドクラブ。 確かサキソフォーン
だった筈。

高校時代は、ワシ中退したもんで、良く判らない。 しかし大学時代には
バンドを結成。 地元小松の公会堂で、コンサートを開いたりしたそうな。



その話しを聞くと、久保田君の独演会。 サキソフォーンの吹きまくり。
誰が何と言おうと、彼のサキソフォーンは止められないって感じ。

その場面、想像出来る。




それから数年後、ワシ、地元テレビで彼を見た。 アメリカへ留学して、
作曲を学んで来たそうな。

何か、ムソッとした感じでギターを抱え、背を丸めた姿でインタビューに
答えてた。 言語不明瞭だった。 ヒッピーめいていた。



この直後に L P 判を出すんだが、バンドの名前は確か < 夕焼け楽団 >
そこでの彼の楽器は、ギターである。

おそらくポピュラーな人気を求めて転向したんだろうが、ワシに言わせれば
ポピュラーな人気の追求は、彼に相応( ふさわ )しくない。



むしろマイナーな場所で、気の合う連中に囲まれて、サキソフォーンを吹き
まくってる姿の方が、

彼らしくは、ないか? と思える。 これは人生の戦略問題である。 ワシ
の見た久保田君の少年時代の延長線上では、その様に感じるのだが ・ ・ ・



***********************************************************************



久保田麻琴( 誠 )君が岩波新書から本 < 世界の音を訪ねる > を刊行
した事。 冒頭に書いた。

この本、読みたい向きは読んで貰いたい。 ワシ、推奨はせん。 何故か?
内容の重要な事は、認める。 しかしだ、



面白くない。 通読するのに意志の力が必要だ。 ポピュラーじゃねえんだ。
久保田君を知る者にあらざれば、最初の一章で放棄するだろう。

難解な文章ではない。 平易なつづり方をしとる。 だけど一般受けし難い。
ある世界の人間にしか、読んで貰えない本である。

と、ワシは思ったが、反論も有るだろう。



  *       *       *



しかしだ。 彼の本は、彼の音楽と同じと感じた。 何か凄く重要な旋律で
ある事。 認めざるを得んのだが、

とりあえず耳には、ジャンジャンと言う、騒音の連続に聞こえるだけ。
おそらく、それは、ワシに、新しい音楽の理解力が足りないから、かも

知れぬが。



久保田麻琴君の音楽は、夕焼け楽団の L P で、聞く事が出来る。 彼の
音楽の、どこが、どう良いのか、教えて呉れ。




○ ある同級生に教えられた。

久治良君、久保田君の最近の音楽を聞いてよ。 デビュー当時とは、全然
違うわよ。

あの人、四十歳前後の十年間。 プロデューサーして他の歌手の世話して
たでしょ。

その後の音楽、以前のと、感じが全く別よ。 それ聞いてから書いて。



なるほど、聞かせる曲に成ってました。




  *       *       *



N H K ラジオ F M 、日曜の正午十五分から、はかま満緒マスターの、日曜
喫茶室なる長寿番組が有った。

そこに出演した女の子、日本では知られていない。 だけど東南アジアでは、
大変な人気を博しとる歌手だった。 名前、忘れた。  鈴木あや ?

サンディー ?  鈴木あや と サンディーは、同じ女の子だぜ。



その彼女、番組の中で、自分の所属する音楽事務所の、久保田麻琴君の名を
挙げて、彼の、適切なる助言が無ければ、

わたしの今の成功は無いと言ったんだな。 ワシ、聞いてて、オオッ
久保田君が出たと言って仕舞った。



久保田君、高校時代の同窓会名簿の職業欄には、ザ・サンセッツ とある。
これは彼の音楽事務所の名前か?

恐らく昔と同じ調子で、親分風を吹かしとるんじゃろ。 彼は、ワシの知る
最初から、極めて親密な、極く 少数の仲間に囲まれながら、

親分してた。



つまり久保田麻琴君は、音楽でも、著作でも、社会的にも、少年時代と
全く同じ D N A の遺伝子の発動で、

似たような生き方をしとると、ワシは見るんじゃが ・ ・ ・



この見方、どんなもんじゃろう? 賛同を得るか、得ないか?
教えて呉れ。 と書いて、この段を閉じる。



  *       *       *



最後に、余計な蛇足を書く。 会話の時、そうだそうだと、あいずちを打つ
事、有るだろ。

我ら同級生同士、そんな場合、まこと まこと 久保田誠ッ  って
言うのさ。  これ、かなりポピュラーだったぜ。

まったく余計な蛇足だがナ。 一言( ひとこと ) 多いってえのがワシの
特性なもんで ・ ・ ・



***********************************************************************




次段では、天下の N T T 、四十五歳で富山支店の支店長の椅子に座り、
芦城中学校の三年時には、前期生徒会の会長だった 能川雅明君を書く。

昔流に言えば、彼こそ出世頭の筈なのに、中三の同窓会では、しこたま金を
稼いで鼻息の荒い連中が、結構居てな。

そいつ等が出しゃばって、オレが、オレがと、五月蝿( うるさ )くて、
能川君を物ともせぬのじゃ。




あれは面白かった ・ ・ ・ と言う様な話題を、書いてみよう。





*       *       *



< 前のページへ帰る >   *   < 次のページへ進む >

< この本の ホームへ帰る >

< kujila-books ホームへ帰る >



* 


<  kujila-books.com  >