*  自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 )  *   < kujila-books ホームへ帰る >

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第 4 章  *  同級生賛歌

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<  曽田義則君は会社四季報一番乗り >





曽田義則君が、この章の冒頭である。何故か?
彼とワシ、小学校以来、高校までの同級生って事もあるが、
真の理由は、そうじゃ無い。実は彼、

ヘソが二つ有るって言うのは冗談で、真の理由は、
この 曽田義則君がワシの同級では、あの会社四季報に、
一番乗りをしたのだ

予想外、ダークホースと言ったら叱られるかも。
高校時代、仲間と、誰が四季報一番乗りするかで、
議論した事、有る。
ワシ、林利行君こそ、きっと一番乗りだッ
と、断言しといたのに、ハズレた。

林君は小松高校から京大経済。近鉄百貨店。
一方の 曽田君は、法政大学の法学部から能美防災だ。
五十代後半に取締役就任。会社四季報にその名を載せた。
ワシ、本屋の会社四季報で彼の名を見つつ、
うう 〜 ム と唸( うな )ったね。

一番乗り、御目出とサン
曽田義則君との思い出を書いて見る。



*     *     *





< 曽田義則君の愛称は おソバ >


愛称は別にも有る。 それは義( ぎっ )チョンチョンなんだが、一緒に
居る時は普通に、曽田君と呼ぶ。

眉の濃い、武者振りの良い、がっしりした大男でな。 子供時代からスカッ
とした、真っ向唐竹( からたけ )割りの少年だった。



ワシ、おソバと聞いて、真っ先に想い出す場面は、中学一年時だ。 隣りの
クラスと、ソフトボールの試合でね。

四番曽田君。 ピッチャーの投げたボール。 真っ芯で捕らえたライナー性の
当たり。 レフトの頭上をはるかに越え、運動場の果てまで飛んで行った。


ワシ、一塁側のコーチャーズボックスに立ち。 曽田君の打球を、口を開け
て眺めてた。

相手チームの一塁手、負け惜しみ。 ま、あいつは野球部だからな。 あん
なの打っても、別に不思議は無いんだ。



曽田君の名を聞くと、ワシ反射的に、これを思い出す。 曽田義則君、中学
時代は野球部で鳴らした。

がっしりした体格は、あの時代の賜物( たまもの )かも知れぬ。 昔も今
も、どこの学校でも、野球部と猛練習は同義語だから。



  *       *       *



実はワシも、野球部を目指してた。 小学四年まで、将来はプロ野球の選手と、
心に固く決めていた。

だもんで小学五年時、少年野球のチームに入れて貰ったからには、当然ながら、
バッター四番、守備サードの筈だったのに ・ ・ ・

おいっ久治良、お前、補欠ッ




ほ、補欠だとう? 将来の王・長島を捕まえて、
ほ、補欠だとうッ



ベンチウオーマーの屈辱、辛( つら )かった。 ある時だ、最後の
バッターが、味方のピッチャーだった。

サードライナーでアウト。 スリーアウト・チェンジである。 ピッチ
ャーそのままマウンドへ。



おいっ久治良、グローブ、持って行ってやれッ


監督、ピッチャーのグローブをワシに投げた。 それ持ってワシ、マウンド
に走った。

グラブを渡してだ。 回れ右してベンチへ帰ろうとしたのだ。 選手の母親
見物人など四十名。 ベンチの後ろに立って見ていた。



そのシラーッとした視線の中、ワシはベンチまで駆けて戻った。 あの時の
屈辱、今に残る。

身の置き所が無いっ ・ ・ ・ てえのは、あんなのを言うのだな。
こりゃプロ野球の選手は、絶対に無理だと、子供心に悟った。



  *       *       *



だもんで中学の野球部は、止めた。 ワシ、仕方なく剣道クラブへ入った。
そんな調子だから、高校では山岳クラブ。

小松高校の山岳クラブ、岩をする。 ワシ、リック背負( しょ )っての
山登りは好きだが、岩はゴメンだった。 あれ、危ないから。

落っこちる。



小松高校ってえのは、江戸時代、加賀百万石、前田の殿様の隠居城である。
現在は、天守閣の石垣だけが残ってる。

その土台の石組みを岩場に見立てて、登れッ  言うんじゃよ。
ワシ、やだよ。



ワシ、根っからのスポーツ大好き人間。 だけど天守台の岩登りが、嫌で嫌で、
放課後に成るの、苦痛だった記憶が残る。

二十歳の夏、北アルプスは槍が岳。 あのテッペンに初めて登った時だ。 足
が震えてな。 恐くて恐くて、立ってられなかったものだ。

ワシ、高所恐怖症の登山家どす。



  *       *       *



ワシも本当は入りたかった野球部へ、曽田義則君は敢然と入部して、三年間。
音( ね )を上げる事も無く、猛練習に耐え、

レギュラーの座を、務め上げたんだから、ここはまぁ 〜、良くやったと
言って置こう。 負け惜しみながら。




< 曽田君の父親は実に、出来た男だった。>


それじゃあ、母親の方は、どうなんだ? ・ ・ ・ と、思うだろう。
曽田君の母親ってえのは、ふざけた女でな。

生命保険のオバハンをしたのだ。 二ヶ月もすると全国のトップクラス。
収入、父ちゃんの給料を軽く越えた。



父ちゃん、北陸電力の子会社の 北陸電気工事の現場社員だから、安月給
でも無いんだが、

生命保険のトップセールスのオバハンには、敵わない。 で、父ちゃん、
それ見て、何を言ったか? と言うとだな。




止めろッ



と、ただ一言、母ちゃんに言ったそうな。 母ちゃん、その一言で、生命
保険のオバハン、止めて仕舞った。

だけど、こんな母ちゃんだから昼間は馬力を持て余す。 仲間集めて
マージャンやったり、お茶飲んで、だべったり、してたそうな。

つまりだ。 かなりいけない女、なあんである。



こんな具合に曽田君の父ちゃん。 全くの無口。 ワシも良く遊びに行った
が、父ちゃんと話した記憶。

一個も無い。 すべて母ちゃんと話した。 父ちゃん、横に居る。
なのに話した記憶、全く無い。


だけど、その存在感。 この父ちゃん、出来た人やなぁ 〜 。 と言わず
語らずに、その人徳が偲ばれる、そんな方だった。

会社でも同じ。 何の運動もしないのに、みんなから押されて、労組の
代表に成っていた。 そう言う父ちゃんだった。



  *       *       *



ワシ、曽田君に言ったことが有る。 君は、母 七・父 三 のブレンドだ。
これがもし反対に、父 七 ・ 母 三 のブレンドだったら、

社長に成ってるだろう。 だが 母 七・父 三 だから、取締役で我慢しろッ
ってね。



  *       *       *



ワシ、この母ちゃんに、負けた事ある。 二十代、適齢期の頃だ。 久治良
君、彼女居るの?

言うから、居ませんと返事したのよ。 そしたら、見合いをしないか?
って言うんだな。



流石、生命保険の勧誘で、あんな成績を出しただけの事ある。 聞いてると
その娘さん。

オッソロしく良く聞こえるんじゃよ。 で、ワシ、言った。 そんな素敵な
娘さんなら、自分の息子と見合いさせたらどうですか?


するとだ。 曽田君のお母さん。 心配しないで。 言うんじゃ。 今、話
したのは二番目に良い娘さんなのよ。

もっと良い娘を、息子の為に用意してるから、そんな心配は無用だって言う
のさ。 ワシ、爆笑しちゃったよ。



そう言う事を、平気でおっしゃる方だったんです。 曽田君のお母様は。
あれにゃあ参ったね。

ワシ、頭を掻いて退散した。 曽田君のお母さんには、敵わない。
でも、こんな人を日本の外交官にしたいね。 曽田君のお母さんみたい人に


外交官をさせると、中国・韓国は頭を抱えるな。 とても敵わぬと音( ね )
を上げるざるを得ぬ。

東大卒の秀才( 勉強家 )で、しかも、しぶとい交渉術を併せ持つ人は、
非常に非常に稀( まれ )である。



日本の外交が駄目なのは、学校秀才にやらせとるからだ。 外交交渉と言う
奴は、営業を、さらに難しくした世界だから、

したたかで、喰え無い野郎でないと、手に負えぬ。 そんな才能、
長時間の勉強では得られない。 学校秀才は、お呼びで無い世界なのだ。

なのに日本、学校秀才に外交をやらせとる。



長時間の勉強は、交渉に必要な したたかさを、むしろ破壊する。 日本の
外交の劣勢なのは、

第一線の外交官の人選にある。 曽田君のお母さんみたい連中が、第一線の
外交官に成れる制度こそ必要なのだ。

あんな人が外交官だと、日本も様( さま )変わりする事、必定だ。



  *       *       *



曽田君の父さんは、運動など全くしないのに、会社の労働組合の委員長
に推されて、

ホンマに出来た方やったナァ 〜 。 こんなに時間を置いても、しみじみと
思い起こされる。 そんな方やった。



曽田義則君が、能美防災工業の取締役に抜擢されたのは、あのお父さんの
人徳の、余波ではなかろかと、ワシ、本気で思っとる。

冗談抜きで。




< 曽田義則君と共に起した 傷害事件とは何か? >


不思議な事に、この事件。 曽田君が犯人で、ワシは無実の罪。 なのに
ワシだけ、徹底的に殴られた。

ワシだけが、糞味噌に貶( けな )された。



そう言う憤懣やる方なき思い出なんだが、その恨みの中に、曽田君の登場
しないのが、あの事件の面白い所だ。

ワシの怨念は、教師だった矢地( やち )なる女教師と、担任の橋教師に
のみ、向けられておる。



何でそうなるのかを、これから書く。 小学六年時の遠足だった。 場所は
手取川の上流。 美しい峡谷美の遊園地だ。

石川県以外の方は、ピンと来ないだろう。 今の手取川ダムの下流。 スキー
やスノボの愛好家なら、瀬名高原スキー場の下流である。



とにかくワシら、小学六年生だった。 帰りの電車待ちだった。 駅の
前の広場に、集団で居たのだ。

何と言うても団塊の世代だ。 芦城小学校・六年生だけで五百名だ。
この人数が、ローカル駅で電車待ち、してたのだ。



この傷害事件は、その場面から始まる。



  *       *       *



ワシ、仲間と一緒に、ぼんやり立っていた。 フト見ると教師の矢地( ♀ )、
密集した生徒の中を、

砕氷船よろしく、右へ左へ生徒をぶっ飛ばしながら、物凄い勢いで、こっちへ
突進して来るではないか。 何んじゃい、あれは? ワシ、ボォ 〜 と見てた。



矢地なる教師、ワシに体当たりして来た。 同時にワシ、耳を掴( つか )
まれた。 悲鳴を上げたのもかまわず、ワシは列から外に、引きずり出された。

何( なん )で、こんな目に会うのですか? 当然聞くわな。 するとだ。
この女教師。 自分のした事が、判っているのかッ



と叫びながら、ワシを平手打ちするのだよ。 ワシ、ビックリ。 なんで打つ
のかと、意味がサッパリ判らんから、当然、聞くわな。

すると、またしても平手打ちだ。 ワシ、いよいよ驚いて、何故打つので
すか?  打たれる意味が判らんから、重ねて聞いたのだ。



すると矢地なる教師。 憤怒( ふんぬ )でどす黒くなった顔で、もう滅茶
苦茶にワシを打つのだ。

ワシが大変な事をしたのに、全く反省してないとわめき。 怒りで、わななき
ながら、ワシを平手打ちするのだ。

ワシ、何をしたって言うのだ?



  *       *       *



この事件、実に実に、わけが判らん。 ワシが引きずり出された時。
そこには既に曽田君義則君が、立たされていた。

どうやら曽田君が、ワシの名を挙げて、あいつもしてたと言ったらしい。
ボクは、久治良に教えられてしたのだと、言ったらしい。



ではその、した事とは何か? ワシがしてた事で、こんな目に会わねば
成らぬ悪事とは、一体何か?

ワシ、確かにいたずらしてた。 足元の小石を拾い、仲間の背中にポチと
当てる。


当てられた仲間、ありゃ? 何だ? と振り返っても、そ知らぬ顔をしてる。
そんないたずらを、我ら、してたのである。

だけど、そんないたずらが、耳を掴まれて引き摺り出されるような悪事
だと思えない。



しかし、女教師・矢地が、かくまで怒り狂う以上、悪事なんでしょう。
それだったら畠山( 泰司 )君もしてたのに、ワシだけ、こんな目に

会うのは、割りに合わぬ。 言うたら、教師矢地、また列の中へ飛び込ん
で行って、畠山君を連れ出して来た。



かくして、この三名、六年生全員の前に立たされて、散々に辱( はずかしめ )
を受けたのであった。

折角の遠足。 白けて仕舞った。




だけど後( のち )、畠山泰司君は無実が判り、許された。 ワシ、この
場を借りて畠山君に謝罪する。

だけど、それならワシも無実なんだよ。 なのに、ワシが発言すると矢地ら
教師、聞こうとしない。 平手打ちだ。



ワシには、事件の意味が、全く判らん。 説明して呉れと言うのが、何故、
そんなに、いけない発言なのだ?

ワシひとり、散々なるビンタ。 真の下手人だった曽田君。 横で静かに
眺めてた。



だけど曽田君は卑怯だとは言えない。 ワシだって畠山君も、してたと、言っ
たじゃないか。

曽田君が卑怯なら、ワシも同じ位、卑怯だ。 どう考えても最悪は、先入観に
囚( とら )われて、事実を見ようとしない矢地以下の教師ら、だよ。



  *       *       *



学校へ帰っても、ワシ、キツネにつままれてる感じ。 そもそも事件・
事件って大騒ぎするけど、何が事件なの? どんな事件が起こったの?

怪我したって言うけど、誰が怪我したの? どうして怪我したの? ワシの
いたずらは説明した如く、小石を背中にポチ ・ ・ ・ だから、



怪我なんて、するわけが無い。 なのに怪我したと言う。 その責任を感じ
ていないと叱られて、殴られる。

ワシの担任は、理科の橋と言う名の教師だったが、ワシが説明を求めると、
実に不愉快な顔で、往生際が悪いと、なじるのだった。



だけど、何が起こったかの説明をしない。 ワシ、曽田君にも聞いたのよ、
何が有ったのか? ・ ・ ・ って。

曽田君も口を濁( にご )らせて言わんのだ。 ワシ遂に、意味が判らぬ
まま、いけない小学生にされて卒業した。



  *       *       *



事情が理解出来たのは、次の年だった。 中学一年時だった。 女の子三名、
ヒソヒソ話し。

時折、ワシに横目を使ったりしながら、あの事件のうわさである。
ワシ、つかつかと行って、彼女らに聞いた。



彼女ら、ワシの接近に、最初はあたふたと慄( おのの )いたが、ワシが
何も知らないのを知ると、驚きの声を放ち、顔を見合わせた。

彼女らに聞いた、あの事件の顛末とは、こうである。



ワシが、小さい石を仲間の背中にポチと当てて、いたずらしてるのを見た
曽田君。 彼は、豪胆にして乱暴者だったから、

おはじきみたい小石じゃなく、ゴルフボール大の小石。 野球のピッチャー
よろしく、上手投げに投げたのだ。



ワシ思わず彼女らに、そんな事しちゃあ 〜 いけないよッ
そんな投げ方したら、当たった人、怪我をする



と言って仕舞った。 そうか、そんな事が有ったのか。 彼女ら、ワシが
事件を全く知らないのに、あきれ果て、顔を見合わせていた。



  *       *       *



教師らは、何故、こんな事が有りましたと説明しないのだ?

ワシが説明を求めると、自分の罪が判って無いと言うて、平手打ちしたのは
正しいのか?   正しいわけ、無いだろう。



ワシ、意味が判らんから、当然、説明を求めたのに、それがお前の駄目な所だ
自分のした事が判って無いと、ののしられ、散々に打ち据えられた。

曽田君の投げた小石、畠山邦夫君のおでこに命中したそうな。 畠山君、キャッ
と叫んで顔を手で覆( おお )い、しゃがみ込んだ。 当然である。

血も流れた。



電車待ちの集団の中である。 見てた者が大勢居た。 たちまち、あいつだッ
あいつが犯人だッ

の叫び声に、曽田君は連れ出された。 曽田君、ボクは、久治良の真似を
してた、だけですッ



それ聞いた矢地なる女教師。 この先生、女ながら乱暴で有名だった。 小
学生の群れをぶっ飛ばしながら、ワシ目掛けて突進したのである。

引きずり出されたワシ、意味が判らんから説明を求めた所、矢地なる女
教師、怒り爆発。 思うさま、ワシを平手打ちしたのである。



思い出しても凄かった。 ワシが、何故こんな目に会うのですか? なんて
逆らうものだから、

好きなだけ、ボカスカに殴られた。




学校へ帰れば、担任だ。 これまた説明しない。 教師の権限でワシを
頭ごなしに叱るばかりだった。

最後、ワシは曽田君と二人。 怪我した畠山君の自宅へ、謝罪に行ったのだ
が、畠山君が怪我した事さえ教えて呉れないのだから、


何の理由で畠山君に謝罪しなければならんのか? ワシには皆目わからん。
だからワシ、玄関の前で一時間以上、ぐずぐずと躊躇( ちゅうちょ )した。

何の為に謝罪するのか? 誰も教えて呉れないのよ。 これが、この事件の
真実だ。 諸君ら、どう思う? ちょっとおかしくは無いか?



***********************************************************************



この事件における曽田義則君は、お母さんの生き方の表現をしとる。 お父
さんだったら、こんなやり方はしない。

お父さんなら、そもそも小石を、野球のピッチャーの如く、仲間に向かって
投げたり、せんだろう( しないだろう )。



もしまた投げたとしても、堂々と一人で責任を取り、久治良の真似をしただけ
です。 なんて言ったりも、しないだろう。

不思議なのは、ワシの気分だ。 曽田君に対する怒り、まったく無し。
思い出す度に、はらわたの煮える対象は、


ワシを散々に平手打ちした、矢地なる女教師と、担任教諭だった橋に対し
てである。

ワシの、この心情。 諸君ら、どう思う?  間違っているか?



***********************************************************************



小学六年時、担任だった橋教員とは、この以前から、ちょい、行き違い
が有ったのだ。

それは何かと言うとだな。 我ら男子生徒、休み時間に成るや否や、歓声と
共に校庭へ飛び出して、ソフトボールをしてた。 三角ベースでね。



二階の我らの教室は絶好のスタンド。 女の子達、みんな窓からこっちを見
てる。 ワシら、力( ちから )入るがな。

その時担任も、女の子と一緒に窓から見るんだけど、必ず一番可愛い女の子
に、後ろから抱き付く形で見るのだ。



これが我ら、野球少年の不愉快だった。 いつも横目で見ながら、また抱き付
いとらあ 〜 。

など、つぶやいてたものだ。 担任の抱き付いてた女の子、お父さんの仕事
の関係で、日本中を転校してた子だったが、可愛かった。



そんな彼女だったから、高校を卒業するや、資生堂のキャンペーンガールに
成った。 そして日本全国を巡回して、お化粧の仕方を伝授した。

名を、永村啓子( 旧姓 ) 言いましてな。 そのプロフィール、園マリを
もう少し、パッチリにした感じ。



現在は結婚して、静岡県浜松市で喫茶店を開業、マダムをやっておる。
性格も園マリ的かも。

中学三年時の同級生。 四十五歳で、同窓会をした。 彼女、まだまだ魅力
満点。 トレードマークの大きな目も健在だった。



その瞳、なかなかの電圧でな。 ニコッ なんてされたら、大概の
男の子。 参っちゃう様な女の子だったもんで、

担任は、野球観戦にかこ付けて、彼女を後から抱きしめてた、のであろう。
あれ、今だに評判が良くない。 五十年経ってるのに、まだ非難が止まぬ。



我らのこの気分、以心伝心に担任に知れて、隔意が出来てたのである。 他
にも書けるが、止めとこう。

担任、理科の教師として、退職後も新聞に出たりした。 ワシとしては、
ニャロメッ  では、あったが。



  *       *       *



それやこれや、色々有ってね。 担任、授業は悪くなかったが、ワシらと
は、フィットせぬ物が有った。

そこへ、この事件だ。 生徒に怪我させてるのに反省せぬ、不貞な生徒に
されたワシ。


担任から、ここぞとばかりに痛い目を頂きました。 だけど、何が起こっ
てたのか? 皆目、判らんワシ。

強情では無く、説明を求めただけである。 それを叱り付けて殴るとは、
何事であるかッ  と、再度申し上げたい。



自分のした事が判って無い ・ ・ ・ と言うが、その通り、ワシは何が
起こってたのか、判らなかったのである。

反省しろッ  と言われても、何を反省すれば良いのか?
ワシがこう聞くと、担任教師の橋と、矢地なる女教師と二人して、

思う様、ワシをボカスカ ・ ・ ・ だッた。




書いてて、怒りがこみ上げて来る。 憶えてろッ
当時の教師には、こんな具合に、ウムを言わさぬ特権が有った。



***********************************************************************



< あの豪胆だった曽田君も、今や絵に描いた様に模範タイプの会社員 >



会社へ行けば会社員に成る。 ロシアへ行けばロシア人に成る。 中国・韓国
へ行けば中国人・韓国人に成る。 アメリカへ行けば、以下同じ。

これで問題に成ったのが、日本から北朝鮮へ帰国した方々だ。 北へ帰国した
のに、あっちでも自由に物言う日本人のままだから、敵性家族。

帰国七万余名中、三分の一が収容所行きだったそうな。



行った先の国なり、会社なりの人間をして貰わないと、経営が成り立たぬ。
だから日本の企業で、長生きしようと思えば、

その企業的人間に成って上げないと、上手く行かぬ。 ワシみたい、
町工場のオヤジ的、言いたい放題の生き方してる者は、使い難い。

北朝鮮なら、早速、収容所送りだ。



  *       *       *



曽田義則君の、社会人に成ってからの言動を見てると、まさしく、絵に
描いた如き、企業人の優等生のそれでね。

少年時代の、負けん気の彼を知るワシ。 感心するやら可笑しいやら。
だけど企業は、それを求めているのだから、



変身せざるを得ぬのではあるが、やっぱ、笑って仕舞う。 笑っちゃ
いけないんだがな。

ワシ、会社員の経験無いから、なるほど、あんな風に行くんだなと、
勉強にも成ったが、町工場のオヤジが染み付いたワシに、出来はせんが。



だけど北朝鮮に生まるれば、やっぱ、金日成主席万歳を叫び、その死に
は、涙に咽( むせ )んだだろう、と思う。

安明哲( アン・ミョンチョル )の本 ・ 北朝鮮絶望収容所などを読むと、
北の軍の要人でさえ、主席の死に、涙を流さなかったと詰問され、

家族諸共に、収容所送りになった話しが出て来る。



ワシみたい、言いたい放題のアホ、このままでは、まず、生きて行けないと
感ず。 日本なりゃこそ、こんな HP 、書いて居れるんです。



佐藤勝巳の本などに依れば、言いたい放題の日本から、北へ帰国した
七万余の同胞。 敵性成分に分類され、相当数が収容所送り。

そこで餓死した帰国者も、少なからぬとある。 日本からの帰国者、
金日成主席を、金ちゃんなんて、呼んでたそうだ。


日本では天皇陛下を、天ちゃんと言っても、顰蹙( ひんしゅく )を買う
位で、収容所へは、行かなくて済む。

在日韓国・朝鮮の方々も、しっかり日本の悪口ですけど、日本なら、言う
のは自由ですから、どうぞ、どうぞ。



ただしそれ、歴史的に嘘八百だと、ワシは思います。 韓国経済の研究にて
書きます。 でもね、

ワシが、それを載せる、言いますとね。 スタッフが逃げ出すんですよ。
恐い言うて。



いやあ 〜 、あれには驚きました。 そんなに恐いんでしょうか?
韓国・朝鮮の事を書くのが。

ホンマに驚きました。



  *       *       *



最近の若者、折角採用された一流会社を、三年どころか、三ヶ月で辞める
のは、

少年時代に、子供の世界を経験しなかったからだ、とも言える。 子供の
世界にも、求める人間像が有るのだよ。



そのイメージに反すると、仲間から笑われたり、汚ねえ野郎だと罵( のの
し )られたり、我がままネンネと言われたりする。

こうして我ら、社会性と言われる物を、子供時代に体験する。 自分を何か
に合わせる経験をするのだ。 現代の子供、それが無い。

その経験の無い者、会社人間に成り難い。 周りに合わせる意味が判らない。



恋愛だって同じだ。 恋人が出来たら、恋人関係にふさわしい人間に成らな
いと、恋人同士では、居れないぞ。

それで結婚したら、もう、百パーセント家庭人間の役割が待っておる。 こ
の意味を理解せぬ者は、男だろうと女だろうと、お互いに迷惑する。



仲良しグループに入れば、仲良しグループの感覚が、求められるじゃろうが。
すべて同じ、じゃよ。

子供時代に、子供の世界を体験しないと、死ぬまで苦しむ場合が有るのよ。
日本、子供の世界が、絶滅しちゃったからな。



  *       *       *



集団感覚の最初の学習の場が、子供の集団であるのに、日本では、その
大切な子供の世界が、消えて仕舞った。

保育所や幼稚園は、子供の世界とは言い難い。 ありゃあ、先生と言う大人
の支配する、ウルトラマンの世界だ。 ( これは別の場所にて書く。)



曽田義則君が見事、典型的企業人タイプに変身出来たのも、少年時代の体験
の、自然な応用なんである。 ワシ、一緒に成長したから、目撃しとる。

子供時代は皆で遊び。 中学では野球部で鳴らし。 みんなと一つに成り、
同じ目標を求めてがんばった。 あの体験が、生きてるわけだ。



  *       *       *



ここでひとつ、彼の企業人的発言の例を、出して見る。 ただし、ワシみたい、
自由気ままな、はみ出し者から見ると、笑ってしまう代物だ。

諸君らがもし、企業なり組織なりに所属した人生の方なれば、曽田君と同じ側
に立ち、ワシをこそ、冷笑せねばならぬ。



***********************************************************************



○ 先日はお便りありがとう。

体調が良くなさそうだが、お互い、還暦に近いのだから、もう無理の利かない
身体だと悟り、少しでも長持ちするよう努力しよう。

私は去年が次男。 先月二十六日には長男が結婚し、何かホッとした気持ちと
寂しさが、複雑に入り混じっている。


( 中略 )


何よりも健康が第一と、最近特に考える様に成りました。
簡単ですが失礼します。



           ( ワシの文章とは、調子が違うだろ。)
***********************************************************************



読めば、普通のハガキの文面である。 でもね、これ、ワシの手紙に対して
肩透かしなんじゃ。

完全なるはぐらかし。 返事に成っていないのだ。 ワシが、同級生の、
ある問題を提起したのに、おソバ( 曽田君 )、答えてない。

模範文例で、返して寄越した。



だけど非は、彼に無い。 大学卒業後、企業人として、企業の論理に挺身
した生き方をつづけて来た曽田君。

ワシみたい、思った事、そのまま処理もせず、素材のままに書いてしまう
生き方では、とうてい許容されない世界の住人なんだよ。 曽田君は。


学校の習字の時に、岡本太郎みたい字を書かれたんじゃ。 先生、点を
付けられないのと同じ。

ワシの書いてる事、そんな調子だから、企業人には成れぬ。 企業人は、
大人でないとね。 元気一杯の野蛮人的生き方を、

企業人に成っても保持すれば、それこそ、常識ハズレの ねんねと思われる。




曽田君のハガキを眺めつつ、ワシは感慨に耽( ふけ )らざるを得なかった。
あの豪快で野生的だった曽田少年が、物の判った大人を演じ。

学校時代、どちらかと言えば、か弱い優等生と目されていたワシが、還暦
過ぎて、ハチャメチャ言動の、いけないジジイを演ずるとは ・ ・ ・


世の中とは判らないものだ。 そしてまた世の中とは、そんな物かも知れぬ。



  *       *      *



曽田義則君、三十代の頃は、会社の利益と社員の言い分に挟まれて、苦吟し
てる印象が濃かった。

五十代後半、定年がそこに見えた頃は、アメリカの大投資家・ジム・ロジャース
でも無いが、


定年したら 二 〜 三年、車で世界旅行でもしてみたい ・ ・ ・ なんて、
定年後の話ばかりで、取締役に抜擢される様な気配、皆目無かった。

これも世の中だと思う。 求めて得られず、求めて無い者が、それを得る。
会社から、君を取締役にしたい。 言われた曽田君、腰抜かしたのでは?



そうか、おソバが取締役に成るのか ・ ・ ・

聞いた時のワシの心境も、複雑だった。 そうか、おソバが取締役に成る
のか。 すると、ワシの同級では、会社四季報一番乗りではないか。


ふうむ。 あの おソバが ・ ・ ・  会社四季報一番乗りを ・ ・ ・
てな感じだった。



  *       *       *



ワシなんて、二十代の初めから久治良鉄工の二代目の馬鹿( 若 )社長。

社会人の最初から、言いたい放題。 好きな様に仕事して、思いのままに
生きて来た。



町工場のオヤジ、言うたら、蜂須賀小六みたい者。 ある時は武将なれど、
形勢に利無しと見れば、一夜にして 山賊・追い剥ぎと成る。 変幻自在。

倫理観なんて、土台持たず。 時代の風に、調子良く反応す。 風見鳥。
こんな自由な生き方のワシ、曽田君とは別世界の人間、してたんで、



東証一部上場企業の取締役が、どんな感じの地位か、体感的に判らない。

曽田君の、来し方の努力を見てるから、抜擢されても不思議は無いが、そうか
あいつが取締役に成るのかと、

脳みその中で、何度も何度も反芻した記憶が残る。



  *       *       *



ワシの記憶では、学校時代の曽田君、西部劇の保安官みたい印象。 善悪には
きちっと容赦せず、

勉強もスポーツも、目立たぬ所で努力するコツコツ型の少年だった。



喧嘩させると、目茶強かったから、そんな感じで取締役、してんだろう。
遅れて仕舞った、この場を借りて、お目出度うを送る。



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曽田義則君の奥さんを知ってるか? 結構な有名人なんだぜ。 結婚してから、
健康の為にと始めた、モダンバレー。

才能が有ったらしい。 最初先生の代理。 やがて自分のお弟子さん、多数。
大スターの金井克子なんかとも、知り合いだそうな。



お弟子さん、テレビに出たりしてるそうだから、我ら、知らずに見てるのだ。
ワシ、曽田君の家へ、お邪魔の時も、テレビの仕事で留守だった。

夕方、曽田君が台所。 晩飯の用意をして呉れた。 オメェ 〜 ( あなたは )
嫁さんの尻に、敷かれとるんか?



ワシ、言って仕舞った。 曽田君、でへへ 〜 ッ  笑ってた。
よう専業主夫。 料理の腕は、仲々のものじゃよ

何でもすぐ茶化すのが、ワシの長所でな。



今度、嫁さんから話を聞いて、ここに加筆する。



  *       *       *



曽田君が取締役の、東証一部上場の能美防災の、能美( ノ 〜 ミ 〜 )は
アイヌ語である。 神への祈りの意。

この ノ 〜 ミ 〜 で有名なのが、栃木県の県都・宇都宮だ。



宇都宮は、ウツ・ノ 〜 ミ 〜 ・ヤ 、から構成される。 ウツとは、
はるか彼方の意。 ノ 〜 ミ 〜 は、既に言うた如く、神への祈り。

ヤ とは、岡の意である。 なのにこの ヤ の音に、谷などと言う、反対の
意の漢字を当てるものだから、ややこしく成った。



東京の雑司ヶ谷・保土ヶ谷・世田ヶ谷は、全部 岡だぜ。 埼玉県の熊ヶ谷は
谷では無い。 岡だ。

クマガヤ とは、魚干し場の岡の意である。



ウツ・ノ 〜 ミ 〜 ・ヤ ( 宇都宮 )とは、はるか彼方よりする、神への
祈りの岡。 の意である。

宇都宮から、何処へ祈るのか? と言うと、それはご神体の男体山じゃよ。
あれが神様のお姿、そのものなんだ。



そう言われて眺むれば、確かに日光の男体山。 ドーム型の神々しいお姿で
はある。

山塊の中に、一等群を抜く山容なんである。 是非とも注意して見て欲しい。



  *       *       *



調べると曽田君の( 株 )能美防災は、警備サービスで有名な セコムの子会
社だ。 能美防災は、セコムの連結子会社。

セコム、外国人の持ち株比率が、50% に届きそう。 すると曽田君、あちゃ
らかの資本の、ワーカーと成る可能性も有るのだ。

これもご時勢か?



少年時代、曽田君と一緒に( 今は干拓されて水田に成ってる )今江潟の
畔( ほとり )、歩いた場面を思い出した。

葦( あし )の茂みの中に、平底舟が留めてあった。 その舟底に、巨大な
灰色のガマが居てな。


我らの出現に驚き、舟底をドンドンと跳ねたあと、水の中へ飛び込んで
行った。

我らの少年時代、市街地を一歩、離れると、自然がたっぷりと残ってた。
曽田君もワシも、あの自然から出た人間である。



曽田君、退職して羽を伸ばすのは、もう少し先に成った。 ワシも五十歳
から大学の歯学部だ。

お互い、世の中に、もうちょっと貢献せねばならんようだ。 天命かくな
れば、ごちゃごちゃ言わずに、行かずんばなるめえ。



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さて、曽田君の次は音楽家の 久保田麻琴君だ。 久保田君、本名は誠。
デビューした最初は、真琴 だったのに、

後から来た若いのが、けしからん事に、久保田真琴を使ったのだ。
だから暫くは、久保田真琴が二人居た。



我が同級生の真琴君、負けて仕舞い、麻琴に改名。 よって 久保田麻琴に
成った。

久保田君、流石に小学生時分からスターだった。 そこはかとなき人気に
包まれていた。

そんな想い出を綴( つづ )ってみる。




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