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 人生に免疫力無き方、読む事なりまッせん

第 3 章 * 12 / 12
明海大歯学部・問題教授列伝
< 宮田侑教授(理事長)赤石健司先生 >



我らが母校たる明海大歯学部は、
埼玉県坂戸市に所在す。
姉妹校たる朝日大学(歯学部を含む)は、
岐阜県に在る。

両大学歯学部は創立者が同じである。
宮田慶三郎先生その人なり。
詳細は知らねども
ご出身は北海道であるらし。

大阪歯科大卒から七人の侍の助力など得て、
今日(こんにち)を成された。
大人物と言うべし。

宮田慶三郎先生は我らが明海大歯学部の
学部歌の作詞もなさっておらる。
詩人でもある。



*     *     *




< 歯科医療管理学・宮田侑教授(理事長)赤石健司先生 >



侑は郁の字に似る。 その為か大学では理事長をイクさんイクさん
と通称す。

しかし侑の字は、イクと読めない。 郁の字なれば、イクである。
侑は飽(あく)まで、すすむだ。



そのイクさん、代々木の元宮田金属の社屋だと思うが、そこを根城に
活動なさって居らる。

スタッフには赤石健司氏の如き、凄腕のやり手を抱え、大学の経営
から、200億とも400億とも言われる巨大資産の運用まで、

万事抜かり無し。



   *       *       *



我らは五年次、歯学部の専門学科、終了後だった。 歯科医療管理学
なる題目にて、宮田侑教授・赤石健司先生などの講義を受けた。

言い忘れた。 赤石健司先生は京都大学法学部のご出身で、オーム
真理教事件で有名な弁護士、



青山某とは同学であらる。 同期かどうかは聞き漏らしたが、とにも
かくにも赤石健司先生、

口八丁、手八丁の化身みたい方で、我らへの講義も、その伝にて、
歯科医師の現状と問題点を、かく語り、かく分析し、



余す所無しの、スゲエッ〜 講義だった。 歯科医師会での講演も、
引っ張りダコらしく、

その話題も入れて、我らを大いに笑わせてくれた。 全国の歯科医師
で、赤石健司先生をご存知の方、多かろと思う。

そんな先生です。



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さて初代宮田慶三郎先生の御曹司。 明海大学の二代目理事長たる
我らがイクさんこと、

宮田侑(すすむ)理事長について書くことは多けれど、全文は十年後
に入力としよう。



理事長、やっぱ二代目ですんで、二代目らしい側面を否定出来ぬ。
のは当然として、

ある先生、イクさんを、キムキムと言う。 ワシ驚きて、イクさん
は在日韓国朝鮮人かと聞いた。



そうでは無い。 その独裁振りが金正日(キム・ジョンイル)みたい
だから、イクさんをキムキムと呼ぶそうな。

だけど我らの感想は、むしろイクさん。 イザ責任問題と成ると、
ス〜ッと身を引かれる方の様に、感じられた。



その辺が、二代目の二代目たる由縁なんだが、ワシは別にイクさんを
評価出来る程、観察した事も無いから、

これはワシの推測に過ぎぬと断る。 我ら学生には理事長など、
あんま関係無いのよ。



現在の歯学部長は中嶌宏教授である。 イクさんに配するに中嶌先生
なら大丈夫である。 中嶌先生は正道の方だ。

イクさんの良きパートナーたり得る人物なり。



   *       *       *



ここでちょい、余計な話題を挿入す。



あれはワシの六年次、臨床実習の折だった。 我ら補綴科(ほてつ
入れ歯など)に居た。

指導の先生は谷勅行先生。 患者の切れ間に谷先生、ワシに声を掛け
てな。 久治良君、この大学を創られた宮田先生だが、



何をして、こんな大金を得られたか、君、知っとるかと聞く。 知る
わけ無いでしょ。

すると谷先生、ワシしか聞いて居らぬこと確かめつつ、言われたの
だった。



戦時中にな。 特殊金属をしっかり貯め込んでな。 戦後にそれを
放出して、莫大な金を手にしたのだとおっしゃった。

それ金属供出の違反である。 庶民がまじめに鍋釜(なべかま)
出してたのに、初代の宮田慶三郎先生、

特殊金属の隠匿(いんとく)されたのだ。



この特殊金属は、どうやら Pd(パラジウム)であるらし。 こんな
高価な金属を、戦後のあのドサクサに出せば、

そりゃ巨大な資産が、立ちどころに形成されたでしょ。



   *       *       *



君、これをどう思うかと聞かれても、返事の仕様が無いわいな。
谷先生、さらに声を、一段と潜(ひそ)めつつ、

だから見ろ。 歯科大学を二校も創れたのだ。 当然、国からは
勲章のひとつやふたつ、



貰って良い筈なのに、文部省は宮田さんが死んでも、ぜんぜん無反応
だった。

つまり戦中の金属隠匿を知ってるから勲章の対象にしなかったのさ。
宮田一族の今日(きょうび)の資産は、



そういう(いけない)裏が有るのだよと、ワシに言うのだった。
なるほど、そんな事でも無けりゃ、

二百億だの四百億だの言う大金は、貯まりゃせんわい。 そうか
そんな裏事情がお有りなさったのですかと、

ワシ、合点したのである。



   *       *       *



この件を別の先生に聞くと、ちょい違う情報と成る。 戦後の朝鮮
戦争が始まる直前、

宮田先生は国家を背景に、有用金属を大量に集めた。 それを取り
扱う宮田金属なる会社も立ち上げた。



そして朝鮮戦の大景気の中で金属を売却。 巨富を入手したと言う
のだが、それだと勲章は貰える。

ワシの感想では、やっぱ大東亜戦争にからんだ金属の隠匿だろうと
思う。 どっちが本当かは、ワシの関知の範囲外だから、

どっちでも良ろし。



正確な情報を聞いた所で、何の役にも立ちゃあせんわい。 本学創立
者たる宮田慶三郎先生は死去されて居る。

今は二代目、イクさんこと宮田侑(すすむ)理事長の時代である。
だからどうだと言うのだ。

ワシらには、その程度の情報さ。



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ここで一語、付加す。 歯科医療管理学講座には、明石先生の他に
かわづ・かん先生の名が載る。

かわづ先生を、口腔外科の島金(しまきん)こと、嶋田淳教授は
講義の中で、買わづ先生、買わづ先生など、ダジャレるが、



買わない買わないと言いながら、奥さんと銀ブラの時、某宝石店の
主人に引き摺り込まれて、

五百万円の宝石を買って仕舞うよな、我が歯学部、公認の大成功者で
はあられるが、



このかわづ先生の肩書きは、教授なれど、ワシの見た所、かわづ先生
の学生に対する貢献度は、

とてもとても教授の職責など果たして居らぬと直言す。 これ、ワシ
一個(いっこ)の独断なれど。



かわづ先生、講義では、都心部の地図など示しつつ、歯科医院が
かくも多い事など言われたが、

そんな情報、ありふれた、一般低級レベルの内容だ。 教授なれば
そこからひとひねりが必要だ。



それが無いと教授の職責に耐えぬと申す。 臨床の指導、するでも
無し。 毎週大学へ何しに来るのかと聞くと、

ありゃイクさんの話相手なんだそうだ。 かわづかん先生は、
茶坊主か?



あれだけの成功すれば教授の称号も、むべなるかな、とも言えるが、
しかしここは、ちょっとケチを付けねばならぬ気がした。

ま、そんなとこだ。 このページ、以上なり。









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